先人たちの底力 知恵泉・選▽徳川三代の天守(後編)後継者秀忠・家光のシンボル

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この番組のまとめ

徳川家康が65歳の時ついに 江戸城天守が完成。 ところが 家康の死から僅か6年後息子 秀忠によってこの天守は解体されてしまいます。 今回は 江戸城 2代目 3代目の天守とそこに秘められた知恵に迫ります。 その2代目 3代目としては自分の個性っていうのか特徴をどう出すかっていう時にやっぱり シンボルであるお城の天守をどんなふうに変えていくかっていうのはかなり 自分自身のアイデンティティーと関わって大きな問題だったんじゃないかなと思います。

どういうことなのか早速 見ていこうと思うんですけれどもまずは 2代将軍 秀忠の天守について見ていこうと思います。 その家康が 徳川宗家の居城として建てた江戸城の天守を僅か16年で壊してしまった2代目 秀忠。 最強の防御を誇る連立式天守もせめて強力な城だけでも残してやろうという家康は ついに豊臣家を滅ぼして宿願を果たすと翌年 この世を去ったのでした。 家康の死を境に 秀忠という人間は驚くべき変貌を遂げました。

その破風も 三角形の形のものと唐破風っていう 緩やかな曲線を描くそういった破風を巧妙に組み合わせるっていうことで一つの芸術的な美しさをいかに みんなに感動させるかっていういろいろ計画っていうんですかねそういう案を練っているんですけども木の部分ですよね石垣の上の部分をつくるだけで家光は どうして 我々が知っているのかその辺って 先生どんなことだったんですか?秀忠はですね非常に 実際には有能な武将でそれから 政治家としても非常に立派な人物だったと思います。

そうですね 私たちは もう過去の歴史ですから当然 家康の次は秀忠で秀忠の次は家光だっていうそう思っていますけどもやっぱり それは どう継いでいくかあるいはどう継がせるかっていうところでまあ 本当に苦労の連続だったっていうことなんでしょうね。 家康を祀る豪華絢爛な日光東照宮も家光が100万両ともいわれる大金を投じて建てたもの。 建物の耐久性を向上させるために家光は 1階部分の柱200本を全て 32センチ角の巨大な檜でつくりました。

しかし 家光になると もう昔 豊臣の黒 対 徳川の白みたいなそして そういったものが家光だけがですね一人で これ いいだろうって言ってるだけじゃなくて江戸の町の有力な商人ですよね家康についてきて江戸に来て お店を開いたような豪商がお城の天守のような3階建てのまあ 櫓のようなお店を構えてるっていうことでそういう すごいお城をつくるというのが将軍様もだけども自分たちもだっていうですね町全体の誇りになっているという共有されて影響を与えているっていうのがこれは すごいことだなって思うんですね。