先人たちの底力 知恵泉「菅原道真 “オタク男子が自分らしく生きる極意”」

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この番組のまとめ

そんな菅原道真の知恵を読み解くのは…社会が抱える身近な問題を小説で問い続けています。 何か 菅原道真の回だと先生は 元号の研究者としてもね。 もちろん ご本人もさることながらそのご子孫が 代々 学者でしたから例えば 平成という元号がついこの間までありましたけどもこの平成を最初に出したのが菅原道真のご子孫なんです。 江戸時代の元号の案は ほとんど全て菅原道真のご子孫なんですね。

菅原道真は 845年 平安時代中期にここ京都で生まれました。 古代の教育史を研究している…秀才試に合格しないと文章博士にはなれないっていうふうに平安時代にはなっていくんですけれども秀才試の合格者っていうのは非常に少なくって 古代の…道真は 外国使節を接待するポストや財務 税制をつかさどる民部省など…父 是善が心配する様子を道真は漢詩に詠んでいます。 父 是善は自らが文章博士の時は常に学者仲間と交流を深め道真は自分にも他人にも厳しい性格でした。

よく道真という人は和魂漢才の人だといいますよね。 和魂漢才っていうのは?和魂漢才 つまり日本人の心中国人の知識といいますか…なことで いうんですが大事で それは しかしその前提に やっぱり知識があっていろんなこと知っておってそれを そのままいかないということに気が付いて じゃあ どうしたらいいのかということを工夫していく。 結果として そういうことができたから和魂漢才の人だといわれるようになっているんじゃないかなと思います。

もともと中国で皇帝を補佐する重要な役職を示していましたが基経は 位は高いが実権のない名誉職ではないかと…天皇の補佐役である関白職の空白により重要決裁を仰ぐ書類は停滞年中行事も支障を来す始末。 律令制の崩壊で地方から お金が入らないため…さまざまな役職を兼務し4年後には 異例のスピードで中納言にまで出世した道真。 ついに重要閣僚の一人として…道真は 慣例を改め 成果の薄い海外派遣を停止に踏み切ることが今の国家のためになると判断したのです。