こころの時代~宗教・人生〜 禅の知恵に学ぶ4▽それと一つになる―作務・勤行―

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この番組のまとめ

大体 どこの道場も そういう作務の時間というのを置いてあるわけですがこういう場所ですのでね 山の中だから自然に その作務の内容がいろいろあるということですね。 山作務なんて言いますけどね 山で木を切ったり あるいは植林をしたりとかそういうような時にですね日天掃除といって普通の掃除はもちろん除草とかっていうのも含めていろいろ 境内の掃除はありますが特に大きな作務というのはやはり 山作務でしょうね。

でも じゃあ掃除の時に 草取り除草って書いてないから草を取らなくていいかっていったらその時にスッと気付いて 取っておけばこのぐらいの草の時に抜いておけば楽なんですよ。 雲水でも 修行年数がだんだん増えてきた者は私らの修行時代には皆 ほうきを作りましたのでね「自分のほうきは 自分で作れ」と言われましたのでだから 自然に作れますしまた こういう道場にいることが長いですからね多分 修行した者の中では 一番 ほうきを作ってる人間の一人だと思いますね。

山に行って 樒を切ってきますけどもそうすると 切り方もね 無駄なく必要最低限のものを切ってくるそういう思いで切りだすと樒という木自体も生きてるような感じがするんですね。 その人がですね お釈様が大好きでそれでも お釈様の法座しかし この周梨槃特 ついに自分で自分が情けなくなった時があるわけです。 「周梨槃特よ どうしたのか」。 そうすると 周梨槃特はたどたどしい言葉でもって自分の今の気持ちを素直に訴えます。

ほこりを掃くことは自分の心を清めることであるというついに 最後に 言葉を縮めて縮めて「塵を払え 塵を払え」ってやってるうちにいつの間にか 「塵を払え 塵を払え」ってできるようになった。 この兄も優秀な優秀な お弟子さんだったそうですが「塵を払え 塵を払え」って言いながら毎日毎日 ここをきれいに掃除をしていく。 いつの間にか 自分自身もそれが 毎日毎日することによって自分自身がすっかり 塵が払われているんですよ。 周梨槃特に足らないのは自分が弱い存在だとか愚かな存在だとかという塵を持ってるんですよ。

で まあ自分の経験でも 道場の中ではただただ一生懸命 読んでると。 そういうことができるようになるにはやはりね 歩き方 それから読み方「行住坐臥是禅」というのを全部 表してるような一つの行ですね。 自分は もちろん一生懸命 せざるをえないんですがでも 彼も修行してるわけですね。 ハーハーハーハー お経読んだり作務や托鉢でもですね食事の件でも一緒ですね。 しかし 和歌山の興国寺という寺に派遣された時には檀家のある寺ですから檀用がありますので1人でお経を長く読まなきゃいけません。

「一日作さざれば 一日食らわず」という言葉が百丈禅師がおっしゃったことですけども。 百丈懐海禅師という方がこれは 禅界にとっては非常に大事なお方ですが唐の時代に活躍された。 この百丈禅師がまあ 晩年というのか体が だんだん だんだん衰えてこられた頃になってもですね体を動かすことをいとわれなかったんですね。 百丈禅師の こういうふうに毎日毎日されたら 体に障るから掃除をされる道具 作務の道具を片づけてしまったんですね。