先人たちの底力 知恵泉・選▽丹下健三 前編・巨大プロジェクトを成功させるには

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この番組のまとめ

更に 去年12月 55年ぶりに大阪での開催が決定した…1964年の東京オリンピックでは国立代々木競技場第一体育館を設計。 その広さ 実に…今回 丹下健三の知恵を読み解くのは…33歳で独立すると テレビ局や大手通信会社から次々と仕事の依頼が舞い込む売れっ子ぶり。 でも 丹波にかけてるのにどうして広島風なんですか?実は この広島っていうのがですね丹下健三と関係があるんですよね 先生。 そのそばにあり 毎年 死没者の慰霊と平和を祈願する式典が行われる…丹下健三が 建築家として初めて手がけた作品です。

その美しいフォルムに感銘を受け建築家になることを決めた丹下健三は戦意高揚のため 昭和17年に政府が主催したコンペに参加した時の図案です。 審査員が書いたコンペの批評には「2等や3等の案が 公園の中だけを考え元産業奨励館の建つ飛び地がつけたりに扱われているのに対し1等の丹下案の優れた点としてこの飛び地が あたかも公園の敷地内にあるかのように計算されている。 丹下健三の最初の作品となる平和記念公園が完成します。

ドン!それ ちょっと変わってないし「ぞうすい」を 「ぞう煮」にしてしかも 「じゃけん」って言ってるのに東京風っていうのはどういうことなんですか?まあ 「じゃけん」はやっぱ そうしないと丹下健三ってできなかったっていうところなんですけど。 オリンピック決定 万歳!万歳! 万歳! 万歳!東京が 第18回オリンピックの開催地に決定したのです。 国民が その成功に意気込む中新しく建設が決定した競泳会場の設計者に丹下健三が選ばれました。

つり屋根構造?それは つり橋に使われる工法を応用し屋根を ケーブルで引っ張り支えるというものでした。 代々木競技場の構造設計を担当した…そして 着工から半年たった昭和38年秋ついに 川口さんにあるアイデアが浮かびます。 つり屋根構造で両端を高くし美しく描かれた曲線は奈良の唐招提寺の大屋根をイメージさせるようだと絶賛されます。 大屋根の下 視界を遮る柱がない会場では観客席とアリーナとが一つとなり閉会後 国際オリンピック委員会は丹下健三に功労賞を授与します。