日曜美術館「ギュスターヴ・モロー ファム・ファタル(魔性の女)に魅せられて」

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この番組のまとめ

今日のテーマはギュスターヴ・モローが描いたファム・ファタル魔性の女ですけれどもこの言葉は19世紀末のヨーロッパで広がった言葉なんですね。 かつてモローが暮らしていた住居とアトリエを使った世界初の国立の個人美術館です。 晩年モロー自身が美術館をつくる準備に奔走し1826年 ギュスターヴ・モローは建築家の父を持つ裕福な家庭に生まれました。 「サロメ」を題材にした作品は過去にもボッティチェリ クラーナハカラヴァッジョなどさまざまな画家たちが描いています。

あの~ 「出現」っていうタイトルだから何が出現したのかっていうとまあ 首が出現したっていうお話が主流なのかと思うんですけどやっぱり女性の隠されていたものがあらわになってで 実はそのあらわになって魔性だとかっていわれるんだけれども普通に健康な…肉体も男性的っていうか堂々として逃げていかないっていう意志にあふれている肉体ですよね。

だから多分世界が片側しか見えないっていうか2次元的にしか見えないような世界観があってその奥行きが なかなかなくてで スペースが生まれないっていうことが起こってるんじゃないかと…。 例えば同時代にムンクも女性たちの妄想を描いてますけど彼はもてる人だったからちゃんと知ってるんですね。 だから そういう女の人がどういう人かっていうと知っているし自分もファム・ファタルに会っているしだからその人が描くファム・ファタルとモローが描く本当に現実味のない…。

その割と こう 聖女のような女性たちだったその彼が 絵においてはサロメのような女性を描き続けたっていうようなことについてどう思われますか?残ったものから類推するにも十分に官能性のある見つめあうって日本語で「まぐわう」っていうように性的な意味合いがあるでしょ。 やっぱり こう 現実において女性と こう つきあうっていうかそこの女性との やり取りのできなさみたいなところでこう 妄想が膨らんで 少し こう 官能的…絵の中で その官能的なものを表現するっていうようなことはあるのかなあなんて思いながら…。

モローは 対決の場面をスフィンクスがオイディプスの胸に抱きつき見る者に感じさせようというモローのねらいでした。 物語を説明的に描くというよりも感情をかきたてるような表現を目指し探求しました。 娘が平然と胸に抱いているのは竪琴の名手で吟遊詩人のオルフェウスの首です。 しかし 無意識のうちに相手を破滅へと導くファム・ファタル的な女性の怖さが秘められていました。 自分が女性に受け入れられるとするならこういう世界が理想だったんでしょうね。