先人たちの底力 知恵泉「戦後復興 言葉の力でつくった教育改革 安倍能成」

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この番組のまとめ

2回目の今日 取り上げるのは戦後の教育を形づくった教育者 安倍能成です。 戦局の悪化をひた隠しアメリカとの戦争に踏み切った政府には…人々の心を打った安倍は戦後間もなく 文部大臣に就任。 でもね 今日は そんな尾木さんと共にね安倍能成の知恵を味わっていこうと思うわけなんですけれどもご存じでした?全く知らなかったです。 でも どうなんですか?その戦後の教育改革に関わってるわけですけれども戦後教育っていうのは戦後の復興っていうものにやはり大きな影響を与えたっていうこと?いや これは大きかったですよね。

松山の中学を卒業後 上京し旧制第一高等学校を経て文学や哲学について話したりはたまた 若者同士の議論に耳を傾けたりすることを好んでいたのです。 それだけの安倍能成ですから日本の教育史においてどんな存在とされてるんですかね?戦後の教育に大きな影響を与えた人物であることは間違いないとされていまして文部大臣ですとか そのあとに教育刷新委員会の委員長なんかをしていて教育基本法なんかの制定にも 深く関わっていったりなんかしています。

でも青木さん 当時のご時世的にはね何て言うんですか誰でも あらがうわけにはいかなかったんじゃないんですか?先生方の中には やっぱり内心では 軍部に反発していながらも軍部に引きずられてしまった方もいらっしゃると思いますしそういった方々なりの思いとか苦しみとかがあったとは思うんですけれどもただ安倍は 自分の守るべきものに関しては譲らずに正論を唱え続けるっていうことを行っていったので学生たちも新鮮さを感じたり尊敬をしたりとかっていうふうにしたんじゃないかなと。

第一高等学校の校長を務める安倍のもとに戦後発足した幣原内閣の文部大臣前田多聞が訪れました。 しかし 戦後日本の教育制度づくりに自ら関わりたいという気持ちが彼の背中を押します。 安倍は 一高の校長を辞任し昭和21年1月13日日本の占領政策をすすめる連合国軍総司令部 いわゆるGHQ。 GHQは アメリカから27人の教育の専門家を呼び寄せ新しい教育制度づくりを依頼します。 その一つが 朝鮮半島や台湾などで現地の事情を踏まえず 皇民化教育を進め人々の反発を招いたことだと安倍は思っていました。

教育の機会均等を目指して戦後 取り入れられた小学校6年 中学校3年の義務教育も実は提案したのは日本側。 でも 青木先生 どうなんですか教育使節団のスピーチがありましたけれどもねああいったスピーチに至る背景には何があったんですかね?GHQなんかに対してもやはり 同じように引きずられてしまうんじゃなくて言うべきことは言うしそういう態度で臨みたいっていうふうに思っていたところがあると思います。