SWITCHインタビュー 達人達(たち)「奥田瑛二×相良育弥」

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この番組のまとめ

かやを自由自在に操り現代的なデザインを作り出す相良。 言いに行ったんですか? ハハハ…!こんな ド~ンって…「プロフェッショナル」っていう番組があって最後に聞くじゃないですか。 相良が奥田を招いたのは東京郊外の とある邸宅。 だから こういう日本の温暖湿潤なまさに この今の時期ですけどフォーカスして 作ってあるんで…血と汗と 何か 気持ちが凝縮したものを手に取ったときに…。

防災の観点から建築基準法や消防法によってかやぶきの新築は厳しく制限されているからだ。 相良が憧れたのは祖父のように 米作りから大工仕事まで百の技術を持つ「百姓」。 このままいくと 将来 だから…それが途絶えてしまうことがあるので…よく言われるんですけど世界中に かやぶきあるんですけど一番すごいという意味ではオランダが すごくてですね。

今 オランダとかに行ってかやぶきを見れるしオランダの かやぶき職人とも交流ができる。 江戸時代のかやぶき職人が船でオランダに行って向こうの職人と交流することは無理やったと思うんですけど今 生きてるイニシアチブっていうのがあるんで。 先に この家に住んできたご先祖様とか先人のかやぶき職人とかがもし あの世で見てると思うと今 自分が こうしてることに対してどうかな? っていうのは常に 自分の中の定規というか価値判断の基準で。

そっち どうっすか?寒いですか?代わりましょか?ハハハ…!なんともリラックスした雰囲気。 そうじゃなくて ちゃんと何か積んできたものを自分が受け取ってそこに自分が この何十年か生きたものを重ねて もっと良いものにして何か こう 持ってきて どか~んって奇抜な感じじゃなくてちょっと待てよ?ここと ここの あれ…空気感 コラボレーションってどうだ?ってなったときに「ちょっと変えるわ!」ってなりますよね。

物心ついたときからですけど映画全盛のころでねチャンバラ 活劇そういうものが街じゅうにあふれていて。 ところが ある日突然小学校の5年生のときにそれで もう 放心状態で映画館から出てきて家に どうやって帰ったかも分かんないぐらい…歩いてるんですけど。 愛知県春日井市に生まれた奥田。 父は市議会議員を務めた政治家。 小学5年生で映画俳優になろうと心に誓うが大きな障壁が立ちはだかる。 「映画俳優?」。 「映画俳優」って言ったら「たわけ~!」。

で そこから何か こう映画俳優のほうに…。 それで…そして 訪ねたのは 社会派映画の巨匠…奥田は みずからオーディションに挑んだ。 奥田は国際映画祭の出品作に次々と出演。 映画俳優としての地位を不動のものとする。 「映画俳優になっちゃったね。 「はあ?」って言われて「俳優やめて 映画監督になる」って言ったんですよ。 それを ポケットに詰め込んで生きてたんじゃ…ふ~ん!ええ 楽しかった! めちゃくちゃ!俳優のその先輝いていたのは 映画監督。 映画監督 奥田瑛二の持ち味は卓越した演出力。

全員を 自分の いわゆる差配…技量で差配して引っ張っていかなきゃいけないというのがあるし撮ってることの…現場のね 生活含めて。 それは あとクリエーティビティー重ねていくときに「いいな それ! いいぞ君!」って言いながら「はい いくよ」っつって自分の…自分の思いで全部やる。 映画監督として これまで5本の作品を世に送り出してきた奥田。 その中で 奥田は一貫して現代社会が抱える問題に光を当ててきた。