NHK俳句 題「蚯蚓鳴く(みみずなく)」

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この番組のまとめ

「蚯蚓でも鳴いてんだろう」っていう人間の感じ方でだから 蚯蚓っていう昆虫学的な話じゃないのがこの季語の面白いとこだなと思います。 普通 テニスって こう横やスマッシュとかするんだけれどもそうやって 相手を左右に散らせるようにやる競技なんだけどもロブっていう変則技で速いラリーを ちょっと緩急つけて突然遅くするそういう技なんだけれども失敗すると 悲惨でもう 観客も全員 「あ~…」。

「日脚伸ぶ」っていう季語が「私 『日脚伸ぶ』は嫌いだ」みたいなことを。 過剰にあるみたいに感じ取るらしくてその人にとって季語だからって何でもありがたいって思わなくていいっていうそういう気持ちの方が好きな季語に対してより能動的になれるし俳句が気持ちよく作れるというかより ちゃんと深まった真摯な句が作れるだろうっていうことですね。 私も 最初 やっぱり季語 全部ありがたがらなきゃいけないなとは思っていたけども正直 例えば 「冬の蝶」って私にとっては ちょっと過剰なんですね。

終電を逃したとか終電で降りて 家まで歩くとかそういう時に 蚯蚓の鳴くことに気付いた。 終電っていう言葉はむしろ使わないけれども明らかに終電後のホームかなそこに この止まってる電車は明日の始発になるんだっていうことの発見が まず面白かったのと電車が つまり役割を変えるわけですよね。 だから 小さい蚯蚓か何かの鳴き声っていうものと大きい 人間が作った電車っていうもののそのどっちも 何か生き物めいた変化をちょっと感じ取った その瞬間に。

子ども相手だから 花丸とか 二重丸とかすると思うんだけど五重丸 相当ですよね。 言う人もいるかもしれないんだけれどもここは それに「蚯蚓鳴く」っていう日本の季語を取り合わせて普遍的なものになったというか。 この句は 不思議というか「蚯蚓鳴く」って 一応音声のこと言ってる季語だからそれ以外の部分でも音声を言っちゃうとちょっと かち合っちゃうというか失敗することが多いんですよ。 何か 「蚯蚓鳴く」っていうその分からなさがすごい効いてるというか何か サスペンスドラマだったらCM前みたいな感じしますね。