レオナルド・ダビンチが自らを描いた絵なのか。 フレンツェ最大の美術館であるウフィツィ美術館に展示されているその絵は 長年レオナルド・ダビンチの自画像だと考えられてきました。 ダビンチの筆による自画像だと証明するためにはこの絵はあまりにも状態がよかったので最初に見た時は 19世紀に描かれた模写の一つではないかと思いました。 あの絵を見た時の 第一印象は16世紀の作品にしてはきれいすぎるレオナルド・ダビンチは 1452年に生まれ1519年に死去しました。
ネープルスイエローバーミリオンレッドインディゴブルーアジュールグリーンそれらの色の原料の一部は 有毒な物質で弟子たちが準備しました。 ダビンチが描いたオリジナルの状態に戻され細部の豊かさや 絶妙な構図が明らかになりました。 ダビンチは一人一人の人物に 動きを与えながら見る者の視線を絵の中央にいる 聖母子にいざないます。 ダビンチも左利きで鏡文字を使っていました。 それを 絵の裏側に書かれた「PINXIT MEA」の文字と比較したところ同じ特徴が確認されたのです。
「ルカーニアの肖像画」にはダビンチのほかの作品と共通点はあるのでしょうか。 トリノ王立図書館が所蔵する この絵がダビンチの唯一本物の自画像だと考えられていました。 ダビンチが40歳前後であることを考えると赤いチョークの人物は自画像というには 老け過ぎています。 イギリスのウィンザー城には1515年ごろ フランチェスコ・メルツィが描いた肖像画があります。 「ウィトルウィウス的人体図」の顔や「東方三博士の礼拝」の若い男の顔をダビンチのものだとするしかし 全ては 臆測にすぎないのです。
2つの全く違う手法からどれだけ似た形状が導き出せるのか歴史上初めてレオナルド・ダビンチの顔が3次元で再現されました。 しかし 「ルカーニアの肖像画」に3次元画像を重ねると問題が起きました。 ダビンチは 1490年代に人間は 2つの目で物を見ていることを 発見しました。 レオナルド・ダビンチは子孫を残しませんでした。 ダビンチのノートを100枚以上調べた結果断片的なものも含め200を超える指紋が認められました。 ダビンチの晩年の15年間はパトロン探しの旅の連続でした。