日曜美術館「エロスと死の香り~近代ウィーンの芸術 光と影〜」

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この番組のまとめ

見るものをあざ笑うかのようなこの表情は保守派 伝統主義者に対するクリムトの挑戦を意味します。 長年クリムトの研究をしてきた…一応 聖書の中に登場する人物ですよということで描いてますけどもね実際は彼自身の非常に個人的なビジョンというか……ということは想像つきますね。

その閉塞感をね 打ち破るという感じで新しい いろんな手段に取り組むとか画法に取り組むっていうのはあると思うんですけど結構 人間関係もいろいろ…ぶっとんでるといいますか先ほどのね VTRだと女性たち モデルの女性たちと親しい関係になってお子さまもたくさん…。 新しい関係の在り方を模索するということはクリムトの同世代の芸術家たちはかなり共有してた意識じゃないかなと思いますね。 エミーリエ・フレーゲさんというあの女性が非常にクリムトにとって最後まで重要な女性だったと。

クリムトは「交響曲第9番」をこの作品に クリムトは工芸的な技法を取り入れました。 クリムトたちは音楽との融合までも実現させたのです。 だからもう クリムトという人はやっぱりエロスを全面肯定するというか官能性を とことん追求した人だからこういう形になった。 人間の生と死とは何なのか?そして 自分とは何者なのか?シーレは 当時としては珍しい男性としての自分のヌードも医学博士で精神科医の 斎藤 環さんはシーレが裸の自画像を執拗に描き続けた心情を こう分析しています。

藤原さんは あのシーレについてはどのような印象を?実は昔はねクリムトのお弟子さんということでもちろんシーレ自体は知ってたんですけど昔はその絵の前に来ると避けて通ってたとかちゃんと見れない感じの自分がいたんですね。 何かをこう 削り取るっていうか自画像そのものが自分を傷つけることでもあるような人なのかなっていうような。 そうすると 自分というものはそれまでは絵描きである自分を描く自画像っていう立派な絵描きの自画像だったわけです。