SWITCHインタビュー 達人達(たち)アンコール「柳美里×栗林慧」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

写真家栗林 慧 80歳。 栗林の専門は昆虫写真だ。 自分がたどった壮絶極まりない人生を強烈な文体で書き記した作品は高い評価を得てきた。 そして 今 柳はいまだ原発事故の影響が残る福島県南相馬市に暮らしている。 海沿いの一帯は 今も津波のリスクから災害危険区域に指定され住宅を建てることはできない。 昆虫探しが始まった。 見つけたのは 春先によく見られる…撮影準備に入った栗林。 寝転がった栗林は昆虫の目の高さまで姿勢を低くしレンズをぎりぎりまで近づけていく。

ハハハ…!そのころのカメラのレンズというのはですね…この辺の筒を例えばボール紙で作ったりですね。 栗林は 1939年中国東北部 旧満州に生まれた。 軍人だった父の都合で生まれてすぐに長崎県の平戸市に移住。 私も 学校の帰りランドセルしょってるので虫かごとかないのでペタペタ腕に毛虫とか芋虫を貼り付けて食草を覚えて 持って走って帰るんですけど…そりゃ そうでしょう。 将来は 昆虫写真家になると決めていた栗林だが家庭の事情もあり19歳で自衛隊に入隊した。 お金をため 一眼レフカメラを購入。

そのあとも いろいろ?自衛隊を辞めてですね 僕…保険会社に。 保険会社ですか?保険会社っつってもなぜ 保険会社っていうと僕 あの…写真を撮る勉強をする時間をですねですから 子どもの科学雑誌なんかで写真を使ってくれるようになってですね。 巣穴から空を見上げるアリの視線の写真で始まりアリの目線から見た さまざまな昆虫。 被災地の中には昆虫の生態に異変が起きている所があるという。 場所を変えて探し続け栗林はやっとのことでクビキリギスというバッタの一種を見つけた。

角田光代さんとか村山由佳さんとか中村文則さんとかに…コーナーがあるんですね。 ツマグロヒョウモンのね へえ!そうです そうです!スミレ科の。 東京と鎌倉って近いから来てしまって電話がかかってきてガラッと こう みんな「美里さん」っていう感じで来て「何かこれ 煮物が出来たから ちょっと食べて」っていうような感じですよね。 そういう意味で言うと すごく…鎌倉で閉ざしていたシャットアウトしていたっていうのから比べると正反対のもともと 私…なるほど…。 発表を 当時の官房長官がしたのを鎌倉でテレビで見て。

かつての私小説的な色合いは薄れ何か あの 自分…一人の人間っていうのはいろんな「他者」が流入して出来てるんだなというのは気が付いたんです。 バッタには バッタの世界がありアリにはアリの世界がありというように…他者と共に生きようという柳の決意は若者たちとの活動に結実しようとしている。 作品は 東日本大震災を経験した高校生たちの拭い去れない記憶をもとに柳が戯曲化したもので演出も担当している。 なかなか 町としては厳しい状況は続いてるんだけども何か こうワクワクするような場所出来事が…。