こころの時代~宗教・人生〜 アンコール「詩人 尹東柱を読み継ぐ人びと」

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この番組のまとめ

日本で学ぶ学生だった尹 東柱は最期の日々を刑務所で過ごしました。 尹 東柱は朝鮮の言葉や文化を守ろうとして治安維持法違反で逮捕され…その時に 看守さんが「ああ 東柱が死にました」 と。 占領下においてて捕らえた側で 言葉まで奪ってでも そのやった側の日本人が何も知らないっていうのはやっぱり ちょっと都合がいいというか何も知らないままいくのは朝鮮語で 北間島と呼ばれる地域です。 信仰の自由を重んじる学校は日本が強制する神社参拝を拒否。 学校への弾圧が続き 尹 東柱は抗議の意味を込めて自主退学しました。

遡ると 小学校の時に住んでいた隣が朝鮮人の家庭だったんです。 当時 朝鮮人の姓を日本式の氏にする創氏と下の名を日本人風に変える改名が実施されました。 尹 東柱は 朝鮮半島を離れ日本へと渡ります。 恐らく その時代の 特に知識人あたりはそういうような失望感とか要するに 朝鮮人であるということ自体に対する一つの何ていうか 恥辱というかなそういう感覚もありましたしそれが現代にも続いてると思うんですよね。 時期的には 創氏改名をして日本に行く前の ちょうど直前の。

当時の友人たちの証言と大学に残る資料から尹 東柱が住んだのは高田馬場だったことを突き止めました。 尹 東柱の立教時代 一緒に下宿をしていたということが分かっている二度 空襲で焼けてしまっているのでこの辺りは。 この詩は 尹 東柱が立教時代に書いて友人の姜処重さんに送って恥ずかしいことだということはどういうことかなってちょっと分かりづらいですよね。

日本が朝鮮半島を植民地支配し中国に対し侵略戦争をした時代。 こうした協力にもかかわらず日本聖公会は 国家により組織の解体を強制されました。 日本聖公会は それは ず~っと何も手をつけずに過ごしてきたんですけど戦争の時代に 私たちの教会がどんな祈りをしていたかどんな礼拝をしていたかどんな説教をしていたかっていうのを当時の聖公会の新聞をできるだけ読み直して関連記事を拾い出して丹念に集めたんですね。

宋 夢奎がですね 京都帝国大学の文学部で勉強しているということがですね朝鮮の新聞に投稿して入選したのもですね宋 夢奎の方が早かったんですね。 植民地支配を受けてですね 故郷を離れざるをえなかった人たちのことを朝鮮の独立を図ったという容疑で下鴨警察署に勾留されました。 あの 「星を数える夜」という詩があるんですけどもそれから 自分自身が読んだ フランスの詩人たちの名前を挙げていたりこれを読んでみますとですね非常に その 空間的な広がりですね。