作者の西田幾多郎は人生の哀しみや苦悩を出発点として「真に生きる」ことが可能かどうかを問い続けました。 西田は 善というのは我々の中に 種のように存在していてそれが開花していく可能性をこの本で論じてるんですね。 皆さん 手のひらをちょっと出して頂くと今ね 現代で言う宗教と西田の言う宗教の違いというのはですねこの指が 一つ一つの宗派的な宗教ですよね。 いろんな可能性があってそれが開花していくことが善なんだっていうのが 西田の考え方。
ですので 私たちはその哲学の原点に立つ時に自分の中に今今ですね自分の中に今 ここに絶対的なものはないんだというところから スタートするのはとても重要なんじゃないかなというふうに思うわけなんですね。 表層意識と深層意識が一つになり「行為」する時「人格的要求」とは人間を人間たらしめている はたらきのことです。
これは どういうことでしょうか?「人格的要求」って これも難しいですね。 これも 現代の私たちにはおよそ使わない言葉ですけど言いかえるとすると「他者の存在を尊ぶ」と言っていいと思うんですよ。 中世の画家 ジョットはローマ法王の前で画力を見せよと命じられた時ただ 一円を描いたといいます。 これ どういうことですか?そうですね 一見すると壮大に見えるんですけどまず 私たち自身が宇宙の一部ですよね。 現代人は やっぱり宇宙に ロケットで行けるようになってここが宇宙だということを忘れちゃったんですよね。