地球ドラマチック「“鉄の貴婦人”エッフェル塔~知られざる誕生物語〜」

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この番組のまとめ

多くの困難を経てエッフェルは巨大な建設用地を確保し当時の建築技術に革新をもたらしました。 フランスで最も偉大な技師の1人…鉄の建造物はエッフェルの専門分野ですでに多くの駅や橋を世界中に造っていました。 エッフェルはこの業績をアピールするため建設現場にカメラマンを招きました。 エッフェルは 設計者で彫刻家のフレデリック・オーギュスト・バルトルディの依頼で「自由の女神」の骨組みを鉄で造りました。 若い技師2人は 巨大な塔のアイデアをエッフェルに持っていきましたがエッフェルは 新しい事業には慎重なタイプでした。

エッフェルは政界の友人たちの影響力を使い何としてもコンペを射止めようとしました。 1886年 エッフェルはある重要人物と会合を持ちました。 ロクロワは ブルデの石の塔にそれほど賛同しておらずエッフェルにも見込みがありそうでした。 エッフェルのプロジェクトとぴったり合致していました。 コンペのための規格はエッフェルの計画そのままでした。 エッフェルは こうして 世界で最も高い建造物の建設を担うことになりました。

エッフェルと技師たちは構造計画と模型を何回も見直しました。 レセップスは「鉄の王」ギュスターヴ・エッフェルに協力を呼びかけました。 エッフェルには もはや作業を遅らせるようなものはしかし塔の建設に従事してきた作業員たちが彼に反旗を翻したのです。 自分の建設現場を 世の手本になるものにしようと努めてきたエッフェルにとってエッフェルは今度こそ邪魔立てするものはないと確信しました。 それはギュスターヴ・エッフェルにとって勝利の日でした。

エッフェルは契約で交わした約束どおり1889年3月31日に 塔の頂上でフランス国旗を掲げたのですから。 中でも エッフェルにとってひときわ意味があった人物はトーマス・エジソンでした。 電球や蓄音機を生み出した アメリカの発明家は エッフェルに対して惜しみない称賛を送りました。 エッフェル塔の入場者数は200万人。 そこでエッフェルは塔を気象観測所にして風圧に関するテストを行いました。 しかし その後予想もしなかったスキャンダルにエッフェルは巻き込まれてしまいます。