SWITCHインタビュー 達人達(たち)「三宅裕司×レキシ」

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

その理由は 何か?日本の歴史をモチーフにした歌詞をファンキーなサウンドに乗せて歌う唯一無二の音楽世界だ。 そんなレキシのステージを日本のエンタメ界を代表するあの男が見守っていた。 江戸時代から現代に至るまでの史料が多数展示されている この場所が出会いの舞台となった。 エンターテイナーとして人々を楽しませるその極意とは?そういうことはあるんですか?それこそね いろんな…世界中 いろんなことありますけども一人一人の人間として同じじゃないかみたいなそういう感情っていうかそれは なりますよね やっぱりね。

これは だから例えば 縄文土器とかあんな昔のことからここの博物館で見た あの地層に何ていうんですかね…ファンクをベースにした音楽性は人気を集めたが2008年 惜しまれつつバンドは解散。 曲 作ろうって言ったのがまた その やってたバンドの同じ事務所にハナレグミっていうのがいて。 中でも 三宅が特に心を奪われたというのがジャズピアニスト上原ひろみとの共演だ。 いい感じ…!レキシは即興演奏が持ち味である上原に「自由に弾いてはいけない」という縛りを課すことで上原の新しい魅力を引き出そうとした。

それは また この間の自分の中のコンセプトというか。 それは…いいよね! それね だからジャズのライブって難しいって敬遠してるお客さんが一緒に楽しめるようになんとかしようという。 クラスで よく面白いやつっているけどそういうタイプだったの?いや そこまで…。 レキシのライブにはエンタメ感満載の仕掛けが多く用意されている。 演奏中に観客が振るのはペンライトならぬ 稲穂。 もちろん面白いことお笑い的なことをやりますけども…ライブをやるために…。

でも まあレキシのライブ見て帰ったお客さんが「いやあ面白かった! ちょっと明日から頑張ろう」みたいな…。 でも それはエンターテインメントを目指す人たちが一番大事にしなきゃいけないことだね。 2007年のソロデビューから精力的に活動を続けてきたレキシ。 近年はその独特のキャラクターを買われ俳優デビューも果たすなど活躍は他分野にも広がっている。 テレビに舞台エンターテインメント界で長年活躍する三宅。 今日は 自身の原点である喜劇俳優についての思いを語り尽くす。

三宅は それを「東京喜劇」と呼んでいる。 ここで? 熱海五郎一座?熱海五郎一座。 そして 音楽を たくさん入れるんだけどかっこいい音楽と かっこいいダンス…今だったらヒップホップの相当かっこいいダンスをきちっと踊れなきゃいけないし。 だから 大阪のお笑いの中のその人の持ちネタ持ちギャグっていうのを毎回 お客さんが待ってるっていうコメディーもあるけども熱海五郎一座は東京喜劇だから毎回 設定で新しいギャグを考えましょうと。 母親がね 日本舞踊を教えてたのね。

そうするとそれぞれに発表会があるわけで日本舞踊を踊ればそれは 大人が一生懸命 拍手しますよ。 明治大学を卒業後 1979年に劇団スーパー・エキセントリック・シアターを立ち上げる。 目指したのは…「歌」「ダンス」「アクション」「笑い」すべてを盛り込んだ演出が若者の心を捉えた。 それで 当然 三宅裕司が どんどんねお仕事をもらえるようになって。 仕事は すべてキャンセル。

そういう気持ちもやっぱりあるんですか?だから もちろんあるし若い人からするとこういう舞台でやってる…今 熱海五郎一座やSETでやってる笑いっていうのはテレビの笑いよりも…三宅が熱海五郎一座と並行して座長を務める劇団SET。 200を超える街が参加し1か月間にわたり開催されてきました「幸福度コンテスト」もいよいよ決勝戦を残すのみとなりました!新作のテーマに選んだのは…街の住人たちが 歌とダンスで幸福度を競い合うコンテストを通して幸せの本質を見つめていく内容だという。