マンダラが現代に生きる私たちに語りかけるものとは何か。 仏教 特に日本とチベットに伝わるマンダラのご研究を長年 続けていらっしゃるという事なんですけれども長年 マンダラに 一心に研究をされてるという事になりますとマンダラには それだけの魅力があるという事でしょうか。 言葉や論理ではなくて 感性にいきなり迫ってくるようなそういう力をマンダラが持ってる。
そもそも 一般の方にはマンダラは公開されてませんでしたし我々は 現在でこそ美術館 その他で見られますけどまあ 解き明かして頂くっていう事に多分 それは限界があるのではないか。 マンダラの中心部を占める「中台八葉院」。 中央に座る大日如来は真理そのものを象徴した存在です。 胎蔵マンダラでは大日如来の慈しみの心が世界の隅々に広がっている様を多様な仏の姿を通じて表しているのです。 金剛界マンダラは9つのマンダラの集合体です。 空海は 密教にマンダラが欠かせない理由を次のように語っています。
そこで 新たな修行法の開発も必要になってきますしそのための 非常に有力なアイテムというかツールとしてマンダラが生まれてきた可能性があると思うんですね。 そのためには まず マンダラが必要だったと思うんですよね。 マンダラも 1種類じゃなく たくさん生まれてくるわけですけれどもそれを総合化していく中でマンダラも いろんな形が現れてきたという事だと思います。
マンダラというのはもともと インドの言葉をそのまま音訳しただけなんですけどあえて意味をとる 意訳すると「輪円具足」という。 多分 歴史的にもインドやチベットの場合は外敵に対する構えもありましたからそういった意味では バリアーというちゃんと張っとかないといけないって発想が強かったかもしれないですね。 日本のマンダラが四角くなってるという事はこの金剛杵がですねズラーッと並べられてますからこれ ちゃんとバリアーがあるっていう事ですよね。
それを その本質的なものを描き出してると考えた方が世界各地の宗教の中にもマンダラによく似た形を見いだす事ができます。 私は 密教のマンダラを狭い意味でのマンダラそれからその他のタイプのマンダラを広い意味でのマンダラという形で両方とも マンダラという枠組みでは ある程度一緒に考える事ができるんじゃないかと思ってます。 密教のマンダラが影響を与えた可能性はほとんどないと思うんですよ全く関係ない。
ユングの恐らく生涯かけた大きな課題の一つもそうでしたし彼が実際に病んだ人たちを治療していくもしくは自分自身を治療していくためのすべとして活用したのがマンダラですよね。 ユングは 自身も心を病みがちで40代の時 師であったフロイトとの関係が悪化し後にユングは 絵を見た知人からチベットのマンダラを紹介されなぜ似通った絵が生まれるのか。
それでも有効なんですか?多分 ユングとユングの患者さんの場合はまだマンダラ塗り絵の段階ではなくて自分自身でマンダラをかなり…マンダラというかマンダラによく似た図形を描いていったっていうのが原点だと思うんですよね。 だったらば 意図的にマンダラ型の絵を描かせる事で自分が見てきたマンダラの要素というか 本来の密教の狭い意味でのマンダラの要素をもう一度 取り戻そうという事で作った…。