100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第3回「“純粋経験”と“実在”」

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この番組のまとめ

「純粋経験と実在」だったんですね若松さん。 ちょっと まず今のとこではですねこの「純粋経験」という言葉と「実在」という言葉が言葉上は違うんだけども実在とは現実そのままのものでなければならない。 若い時から 西田は 「真の実在」とは日常の直感的な経験にあるはずだと感じていました。 そのため 西田は「主観」と「客観」という対立が立ち上がる以前の直接的な意識純粋経験に注目しました。

で 私たちはこの「赤」とかっていう時に実はですねこの赤という色だけではなくて…純粋経験を通じてのみ 実在を認識できるんだという言い方の方が正しいかもしれません。 …しててきっと あ 実在してるっていうことは今 僕が純粋経験をしたということですよね。 いまだ判断が加わらず主観と客観が合一している直接的な経験。 それが 純粋経験なのです。 だから 純粋経験 直接経験自体を完全にとらえたり 止めたりすることは無理だとしても今の状態 そうではなくなっているということは分かるじゃないですか。

倉田百三は 心に大変大きな病を抱えてその時に西田と出会って今 お話があったような経験をしていくわけなんですよね。 そこで やっぱり倉田百三が経験したのは本当の意味での自由だと思うんですよ。 このように 私と対象が一体となり「実在」に触れる時知的直観が開かれるのです。 本当に 「物」を見るためにはどうすべきか?柳宗悦という人は あの「民藝」という言葉をつくった人ですね。 もう いわゆる純粋経験ですね じかに。 一方の西田もですね 純粋経験を妨げるものとして 3つ挙げています。