先人たちの底力 知恵泉▽キネマ事始め 牧野省三(前)好きこそものの何とやら

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この番組のまとめ

無声映画に。 今回はですね その無声映画の世界が舞台ということなんですけれども当時 数々の名作を生み出して日本映画の礎をね築いた人物がいるんですよね? 先生。 牧野省三という映画監督で「日本映画の父」ともいわれている人です。 牧野省三は こうした中で300本以上の作品を世に送り出し日本の映画文化の礎を築きました。 身近なところに潜むふとしたきっかけから動き出す人生のドラマ映画ならではのダイナミックな展開が持ち味です。

小津安二郎監督の「生れてはみたけれど」とかそういう名作を見て「やっぱり活動弁士の話がなくたって映画はちゃんと伝わってくるじゃないか」と。 ですから 例えば 同じ映画でもある映画館に行けば この弁士がいて別の映画館に行けば同じ映画を上映していても 別の弁士が語るというようなことがありまして。 映画館のね もう 今 定番ですけれどもこれ あの 20世紀に入って大恐慌の時代に生活が苦しい中 ポップコーンは値段が安かったので広まって映画館のおやつの定番になったともいわれてるということなんですね。

国産映画の夢を実現させていくのです。 かくして始動した日本初の国産映画プロジェクト。 実は これ牧野が千本座でかけていた お芝居でした。 そんな映画製作者は日本広しといえども 自分だけ。 そこから猛勉強をさせて頂いてたくさんアニメ見てもうクレジットまで全部見て制作会社から全部暗記してですね声優さんの名前も一回見てこの方のお芝居が すごいって思ったら巻き戻して もう何回も聞き直してとか。 今ね VTR見てて 牧野さんは映画を撮れって言われた時に何を撮っていいか分からない。

さあ さまざまな困難に出会いながらも映画を作り続けた省三なんですけれども続いてはですね ある発見をして監督として成長していくそんな牧野式撮影法に事件が起こります。 ある時撮影済みのフィルムを確認していると…。 どうなっとんのや こりゃ?当時のフィルムは1本で撮影できるのは 数分程度でした。 フィルム交換の間 出演者たちはつながりがあるので じっと待って続きから再開するのがルール。 よし フィルム交換完了や。

忍術映画は 次々とヒット。 映画監督 牧野省三の名はヒット請負人として広まっていきました。 生涯1,000本以上の映画に出演。 日本映画史上 初めて現れたムービースターでした。 同じポジションで…それを利用して 奇術であったりとか魔術であったりとかそれこそ おとぎ話であったりとかそういったものを映画で作っていくんですね。 映画っていうのが発明されたばかりでまだ手法… さっきもあったカットバックとかだって手法なんですよ。