SWITCHインタビュー 達人達(たち)・選「舘野泉×中村桂子」

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この番組のまとめ

フィンランドのある管弦楽団のコンサートが開演3時間前に迫っていた。 この日は日本とフィンランドの国交100周年を祝う特別な舞台だ。 現在 1年のうち およそ3か月を妻と共にフィンランドで過ごし残りを日本で暮らしている。 リビングに置かれているのはスタインウェイのグランドピアノだ。 弟と2人の妹も 全員 演奏家という生っ粋の音楽一家で育った舘野。 5歳で ピアノを始め東京藝術大学のピアノ科を首席で卒業した。 スタインウェイなんですけど。 ええ スタインウェイですね。 随分 古いスタインウェイなんですね。

いや~ それは だっていつも 演奏旅行に行っておしまいになって奥様としてはご一緒にいる時間がとても短かったわけでしょ。 イギリスの作曲家 ブリッジが戦争で右腕をなくした友人に向けて書いた左手のための曲。 ピアノが弾けなくなった父を思い留学先のアメリカで探してきたものだった。 だから それが本当に…たぶん 2~3秒で復帰のリサイタルそれで復帰しますけど でも…でも それは何か…何なんでしょうね? それ。 左手のピアニストとして復帰することを決めた舘野。

左手のピアニストになってからもう15年たちますけども…「両手のピアニストにまた なる」っつっても…たぶん 皆さん そうだと思いますよ。 最近は 左手のピアニストのため左手の音楽というのが最近 ステージとか1つの分野を作りましたからね。 DNAの二重らせん構造に魅せられて以来分子生物学の道へ。 研究室では チョウやクモ カエルなどでゲノムDNAの研究が進められている。 最大の特徴は最先端の研究を行う場所でありながら中村は ここをしかも 今日 雨だったんですよね。

夜ごと訪ねてくる動物たちとの交流を通して知らぬうちに音楽家として成長していくという物語。 東日本大震災のあとこの作品を読み返したという中村。 ゴーシュは何をしたかっていったら…東日本大震災が終わったあとにやっぱり…「人間は生き物であり自然の一部である」と考え続けてきた中村。 もう半世紀以上北欧 フィンランドに暮らす舘野。