徳川家康が65歳の時ついに 江戸城天守が完成。 ところが 家康の死から僅か6年後息子 秀忠によってこの天守は解体されてしまいます。 激動の1970年代ファッションデザイナーとして世界に衝撃を与えた山本さん。 その後は 革新的なアイデアを投入した巨大イベントをプロデュースするなど初代の人は 自分が出た人ですから大体 強くて個性的ですよね。
どういうことなのか早速 見ていこうと思うんですけれどもまずは 2代将軍 秀忠の天守について見ていこうと思います。 その家康が 徳川宗家の居城として建てた江戸城の天守を僅か16年で壊してしまった2代目 秀忠。 しかし 2代将軍 秀忠とは 名ばかりで…最強の防御を誇る連立式天守も白漆喰に塗り込められた壁も5つの連続枡形の採用も…。
嫌らしい話ですけどいくらぐらい かかるものなんですかね?これ すごいお金かかったと思うんですけど今ちょうどですね 江戸城の大天守よりもまあ 少し小さいんですけども愛知県の名古屋城の天守を 木造で再建したらどうかっていうことでいろいろ計画っていうんですかねそういう案を練っているんですけども木の部分ですよね石垣の上の部分をつくるだけで500億円以上かかると。
…と言って 「文句あるか?」とみんなを威圧したという逸話で知られる3代将軍 徳川家光。 こうして 幕藩体制を確立させた家光は34歳の時家光は なぜ 天守を建て替える必要を感じたのでしょう。 影響があったと考えられるのは 家光の…家康を祀る豪華絢爛な日光東照宮も家光が100万両ともいわれる大金を投じて建てたもの。 家光の天守 耐久性を上げるためのもう一つの工夫が…火事とけんかは江戸の華というわけで火に対しても 対策がとられていました。
しかし 家光になると もう昔 豊臣の黒 対 徳川の白みたいなそういった こだわりの時代というのかそこに何か象徴を込めてた時代っていうのを もう超えてしまっていかに その美しく 一番最高のものをつくるのかっていうことでそして そういったものが家光だけがですね一人で これ いいだろうって言ってるだけじゃなくて江戸の町の有力な商人ですよね家康についてきて江戸に来て お店を開いたような豪商がお城の天守のような3階建てのまあ 櫓のようなお店を構えてるっていうことでそういう すごいお城をつくるというのが将軍様もだけど