私たちを悩ます 自分を好きになれないという劣等感。 アドラーは その代表作「人生の意味の心理学」の中でそして 人間のあらゆる営みの背景には優越感と劣等感が横たわっていると考えました。 さて岸見さん 今回のテーマは…これは 何なんでしょうか?それはもう ずばり「劣等感」です。 その優越性の追求と 対を成すのが劣等感です。 百歩譲って そうだったとしてどういう事だ?どういう事だ?彼女ができないというのがこの人の劣等感ですよね。 いい関係築けるかもしれないのにその手前の所で踏みとどまってるのが劣等感の強い人だ。
あるいは そういう可能性の中に生きるために劣等感を わざわざ作り出してるんだと考えるといろんな事が見えてくると思います。 健全な劣等感健全な優越性の追求と区別してこの「A」として 「なるほどそういう理由が あるんだったらしかたがないな」と思えるような理由を持ち出します。 でも それは全て劣等コンプレックス。 劣等コンプレックスというのは…現実 もてないんだから先生 しょうがないでしょ」みたいのは あるんですけど。 この劣等コンプレックスの対となっている優越コンプレックスですけども。
そういう人たちの事を念頭に置いて優越コンプレックスという言葉を使っています。 他にも 優越コンプレックスには こんなバリエーションがあるんだそうです。 いじめや差別もこの価値低減傾向の一種で劣等感を先鋭化させる事で特異な優越感を持とうとしている。 これって まさにその不幸自慢だったりとか自分が弱者であるという劣等コンプレックスを振りかざしたり優越コンプレックスをすり替えたりしてる事の末路というか。