明通寺は 福井県で唯一国宝に指定された仏教建築を構える寺院です。 まあ 今にして思うと当時 国を挙げて 国策としてもだったんでしょうけれども石炭エネルギー 石炭産業から石油の時代へねいわゆる 60年安保闘争の直後ですからねその間もない頃だから政治的 社会的な面でも非常に なんかこう ざわついてる雰囲気もありましたからね。
この言葉の中にねなんか 東京時代の私まあ それ以前も含めてね東京時代の私が 高野山に移ってこのお釈迦様の言葉と出会って自分の中で新たな転換が起こっていく。 あの~ 後藤上人がほんとに気さくにお迎え頂いてそして ここも収入がないです この寺も。 後藤上人のお姿でやっぱり印象に残ってるのは仏教の方では「乞食」という言葉を使うんですよ。
しかも 法華宗の方ですので法華経だとか日蓮聖人のね 言葉なんかも紹介されながらあるいは 仏教者が 現実のこの今の状況に対して私は 鈴を鳴らしながら家から家へ托鉢したもんですから小学生の低学年 あるいは幼稚園の小さな子供がねあぁ ありがたいなぁと思いましてね。 中嶌さんの脳裏に浮かんだのは高野山での修行時代和歌山で参加したある平和行進でした。 1963年の原水爆禁止世界大会に向けた平和行進。 そう胸に刻んだ中嶌さんは「鈴声」の第1号に托鉢は 広島 長崎に原爆が投下された日付6日と9日に行うと記しています。
核兵器による すさまじい暴力を受けた被害者でありながら被爆者の非常に悲惨で気の毒な点というのはもう ほんとに言いたくないんだという。 私が言ってる「隠れ病む身」の被爆者のやっぱり ここまで人々の心を必要以上に萎縮させてねでも そういう思いにまでさせてしまうというのが放射能の問題でありそういうところへ追い込んでいくっていう現在の その環境中嶌さんは 市民と共に行動を起こします。
福島の あの実態を見るならば福島や若狭の私たちが得てきた自利っていうのは目先の 危険な 危険料や不安迷惑料と引き換えの立派な利他を やってきたんだと。 なぜなら 福島の場合は関東首都圏の膨大な電力消費のそれに貢献するための原発を受け入れてきたんだからと。 若狭の私たちは 関西一円の広大な大電力消費地帯の電力消費に貢献するために若狭の私たちは受け入れてきたんだからというそのように誇りを持たなければいけないっていう事を推進する人たちが言ってます。