こころの時代~宗教・人生〜 シリーズ マンダラと生きる第6回▽マンダラと日本人

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この番組のまとめ

こうした独特な日本のマンダラが生まれてる中で今日のテーマは「マンダラと日本人」という事です。 例えば 今だと「道具曼陀羅」とか「恋曼陀羅」というかたちで本来のマンダラの用法からするとどうかなと思うんですがでも よくよく見てみるとそこに いろんなものがパッケージされてるというか包み込まれてるものをみんな 「マンダラ」という言い方してますよね。

当然 そうなりますと日本人の心の在り方であるとか自然観であるとか死生観であるとかあるいは そういうものを総合化したようなものがそこにマンダラというものの中に表現されてる可能性は相当 高いと思いますね。 今までのマンダラはマンダラの中心に大日如来という 偉い如来様が坐ってますけど仏様で埋め尽くされてましたよね。

だから考えようによっては本来のマンダラからずれたというか逸脱したというかねそうも言えるわけで。 で そしてそれが十分にというかとすると日本のその独自の発展を遂げたマンダラには自然というものが キーワードになってるという事ですね。 それを読み解かないと日本独自のマンダラの深い意味合いは読み解けないと思いますね。 その後 日本では自然を大きく扱った不思議なマンダラが描かれるようになります。

日本の神様は もともとはインドの仏菩だったんだよといういわゆる 本地垂迹説とかっていわれてますけれども。 胎蔵マンダラだと結構 縁の部分に縁から中央には出られなかった感じですよね異教の神様は。 これは 奈良の春日大社の「鹿曼陀羅」って大変 有名なものですけども春日の神様は 昔は今の茨城県にいらしたわけですよね。 これで当時の人は これがマンダラだって思ったでしょうか?これは 本来のマンダラの在り方からすれば完全に逸脱をしてるかもしれませんけど日本人は そういうかたちでマンダラを受け入れたというか。

万人に開かれた聖地・熊野は江戸時代 女性の救済の地としても知られるようになります。 その 熊野独特の信仰を表したのが「熊野観心十界曼荼羅」です。 目に 直接訴えかけるマンダラは見る人々の心に 熊野への憧れをかきたてていきました。 女性に特化してるというのは?もともと 熊野というところは他の聖地と決定的な違いが一つあったわけで他の聖地は 基本的にみんな女人禁制ですよね。

ちょっと強引な言い方ですけれどいわゆる「参詣曼荼羅」が胎蔵マンダラのように世界全体を描いてるとすればこちらは金剛界のマンダラのように人間の内面世界 心の世界を描いてると解釈してもまあ そんなに間違ってない気はしますよね。 ここにはねものすごく厳粛な思いで手を合わせるというよりも時に その比丘尼の人たちと笑い合いながらあら 私 今 この辺よねとかあら 死後こうなるの?なんていう事を井戸端会議的に楽しく話しながらでも 教えを聞こうとそういう 何か会話が聞こえてくるようなマンダラですよね。

1950年代 大学生だった中村さんはアメリカで発見されたDNAの二重らせんに魅せられ生物学の道を選びます。 だから 今のDNAとか細胞とかを研究するという意味では同じなんですけど もう人間を機械のように見ないって。 中村さんは 生命誌を通じて本来 自然の一部であるはずの人間を取り戻そうとしています。 マンダラに はめていった時にとても面白いのがね 実はね大昔の人間に感染したお母さんとその赤ちゃんの間で…栄養分のやり取りをする。