写真家 江成常夫さんは人々に過酷な生と死を強制した戦争の正体を撮り続けることを自らの「仕事の文脈」としてきました。 農家がどういうことなのか開発とは何か みたいなことを大学に そのころは かなり何て言うか…強く思いがあってあるいは 開発されていく 畑がどんどん工場化されていくような時間の動き全国の大学に広がった 70年学生闘争本土復帰を控えた沖縄など数々の現場に駆けつけ撮影を続けました。
黒人もいればアフリカ系もいれば アジア系もいればアングロサクソンもいるという人がもう隣 隣で住んでるわけですね。 日本から見るアメリカと アメリカから日本っていうのは まるで違いますしね。 それが その自分のこのホーム・グラウンドとしての写真に日本人花嫁とアメリカ人の夫の間に生まれた娘さんが 成長し消息がつかめた人の中には 驚くべき「その後」をたどっていた人もいました。
「シャオハイの満洲」。 「シャオハイ」とは中国語で「子ども」の意味。 新聞が取り上げて テレビが報道して厚生省が 孤児たちの身元調査に腰を上げたのは36年たってからですね 敗戦から。 仕事の文脈 対象との関係性っていうものに つながるということでかつて僕 農家でしたしひょっとしたら満州旧満州に行かされたかも分かんないという立場の同世代でしたからこれこそ つながる仕事だと思って中国へ参りました。 国の被害者であり中国人にとっては加害者だったわけです。 戦争孤児の取材から生まれた国家への問い。
もう一冊「被爆ヒロシマ・ナガサキいのちの証」という作品をまとめられてるんですがこの言葉に 何か込められた意味があるんでしょうか?特に生ある人に向かって確認を取って撮る 撮らして頂くと。 目に見えない死者を風景の中に追い続け還暦を過ぎた頃江成さんを病魔が襲います。 手術後も 抗がん剤や放射線治療を繰り返しました。 悪性腫瘍という病魔に侵されて広島とは違った また広島の時の死者への思いとまた違った思いが。