そんな一枚が写真界を大きく揺るがしました。 報道写真とは一線を画し「写真を芸術に高めた」と時に エキセントリックに。 奈良原一高の魂の旅を見つめます。 先頭に立って批判したのは当時 写真界をけん引していた土門 拳でした。 奈良原一高が そういったものを撮ろうとしたのではないということはこの写真が この「人間の土地」の中に入っているということでそのことが証明されてるのではないかなと私は思います。 社会問題を広く伝えようとした土門とは全く違う 奈良原のまなざし。
人間として 青年として自分の立ち位置を確立していかなくてはならなかったんではないかと想像するんですがその立ち位置がまさにこういう空虚な空間だったというそういうことが奈良原さんにとっては自分の立脚点 出発点をこれ どういう気持ちの揺れがあったんですかね?そうですね 美術に向かうというのは小川晴暘という奈良の飛鳥園の方と出会って仏像を見て歩くという契機があってなんですけれども。
奈良原先生は ファッションというよりしかし 心の底には満たされない気持ちが広がっていました。