冒頭の「ヒヤシンスしあわせがどうしても要る」という句も福田さんの句なんですけれどもどういう時にお詠みになったんですか?この句は2011年の東日本大震災の時に自分が周りの出来事とかを受け取った時にこれ どうしてヒヤシンスだったんですか?自分でも 本当のところはちょっと分からない…たまたま こう ヒヤシンスがとても この言葉の感じを強く出してくれる花だったというのは それは すごい大きなことなんですけれど何かこう 記憶の中で 僕の中だとヒヤシンスっていうとどうしても小学校の頃 水栽培しますよね。
橋 石の「銀河系のとある酒場のヒヤシンス」っていう3番です。 「校長室のヒヤシンス」っていうのは結構 投句がありました。 ヒヤシンスももしかしたらそういう食べる時に背景に見えてくるのかなと思って不思議な「ヒヤシンス」の取り合わせの句だなと思いました。 「ヒヤシンス」っていうと 少年がすぐ出てくるんですけれどもそれに加えて 少女も出てきてその少女が少年を操っているっていうところが怪しいところがありますよね。
文章でも書いていたとおりちっちゃい頃物心付いてからも しばらくの間は矯正用の…靴って 普通 内側にちょっとだけ反ってるんですけどそれが反らないように わざと形が違う靴を履いて暮らしたりしていてだから そういう意味で歩くって 普通の人にとっては何気ないこと… 日常の中の何でもない動作なんだけれどもでも やっぱり こういう経験をして今は普通に歩けるんですけれど歩けるっていうことがいまだに 自分の中ではすごい ありがたいこととしてあってだから そのみんなが やれることっていうのはみんなが同じようにやっているこ