20世紀を代表する文学者…第二次世界大戦中ナチス占領下のフランスで次々と作品を発表。 ♪~「100分de名著」 司会の…今月は フランス文学の傑作本国フランスでは 20世紀の文学第1位に選ばれているんですね。 フランス文学者の中条省平さんです。 カミュは そういうペストによって膨大な死者が出るという事を不条理が人間を襲う 典型的な例だというふうに考えたわけですね。 この作品が書かれたのは第二次世界大戦が終わった直後でそこには世界の人々が この上ないスケールの大きさで体験した不条理が投影されてるわけです。
アルジェリアを支配してるフランスにとってアルジェリアは 何かっていうと要するに 金もうけの場所です。 ですから そこでは 一般的に経済中心主義的な気風がみなぎっていて金もうけて なんぼというような気持ちがあるわけですねみんな 住民の中に。 いやもう 不条理文学そして カミュっていうだけで構えちゃうし 多分理解できないんだろうなってすごい遠くに置いてたんですけどこれはゾンビであり ゴジラであり何だろう…。
それから もう一つはカミュは もともと…かなりペシミスティックな世界観人間観の持ち主なんですね。 ところが 事が一旦ペストのような事が起こると果たして 自分が生きているこの世界は何かとか人生というものは何かとかという…そういうのに直面させられてしまう事もまた本来の「追放状態」を知ったという事になるんですね 逆に。 だから ペストによって……という事を強調するためにここでも やはり「追放状態」という言葉を使ってるわけですね。
「非現実的な災厄」であるペストが抽象だという言い方をされてるんですね。 だから それはペストっていう病気の場合もあるし戦争という災厄の場合もあるし大震災によって何か 不幸な事態が招かれるという事もあるんですけど個々の小さい事で言うならば例えば 親しい人が死んでしまって絶望に打ちひしがれて自分が生きていても しかたがないと思ってしまうような事とかそういう 自分の人生とか世界というものがこんなふうであっていいのかという疑念を出させるようなもの全てがペストなんですよね。
教会では イエズス会のパヌルー神父が説教を始めます。 ペスト患者の汚物の処理や死体処理を行う大きな危険を伴う仕事です。 ただ そのカトリック的な土壌の中では やはりこういう 「ペストのような悪は神が下した人間への罰なんだ」という考え方つまり神っていうものと切り離せなくなってくるわけですね。 医者である自分がそこで神様を信じちゃうともう俺 何もやらないし ある意味やる理由がないじゃないかというのは 何かすごく 僕はかっこいいセリフに感じましたね。
さあ こうして2人は共にペストと闘う事になったわけですがその他の登場人物は どのような選択をしたのでしょうか?一方 恋人のいるパリへどうしても帰りたいランベールは「『どちらの側で?』とタルーが尋ねた」。 しかし リウーは自分たちの行動はヒロイズムとは関係ないとランベールは このあと「この町から脱出できるまで何ら秀でたところのない凡庸な男というふうに最初は描かれてるわけですね。
実際に女性にもてたとかそういう演劇をやっていたとかそういう派手なイメージもあるんですけれどもしかし 前半生を見るかぎりはこれはもう はっきり言ってくら~い人生で まずそのアルジェリアに入植した貧しいフランス人の家庭に育ったという事ですよね。 ですから 「ペスト」に描かれてるリウーとカミュは故郷のアルジェリアから追放されてしまったという経緯がある。
何か その自分の 「いじめのまん延している教室はペストが まん延してる町だ」理論から言うともともと希望がない しかもいじめられてた子からすると本当に コタールだけだと言いましょうかコタールが一番と言いましょうかすごく今の状態 ペストがまん延してる状態に満足してむしろ楽しそう。 ところが今や 市民全員がペストの恐怖におびえている。 そうすると その恐怖を感じているという点では市民と同じになれたのでまあ言ってみれば…そういう意味で コタールにとってペストは 味方したわけですよね。
もともと ランベールというのは個人主義者で自分の幸福 つまり恋人と一緒にいたいという価値を優先させてたわけですけれどもしかし リウーと会って端的に言えば政治的な色合いが付いてしまって何か ちょっと若い人からすれば引いちゃうみたいな。 オトン少年をみとったあとパヌルー神父もまた保健隊の一員に加わりその最前線で献身的に働きました。 大風の日 パヌルーはペスト発生以来2回目の説教を行います。 「その結果 僕は世間でいう政治運動をやるようになった」。
パヌルーが 一緒に行動を共にするようになる事と更には 自分がペストになっても治療しなくていいっていう。 いや ブラックユーモアですよねパヌルーに対するね。 つまり 最終的にリウーはパヌルー神父の死因というのはつまり 人間の死っていうものは神によって 何か意味を与えられるものじゃないんだという事だと思うんですね。 そういうシステムの中で生きている事が自分の 内なるペストだというふうに感じていたんですね。 人を殺す可能性を自分が秘めてる事も自分が殺される可能性を秘めてる事も含めてペストなんですね その状態は。
まあ 極端な例ですけれどもこういうタルーの思想を通じて…今まで ペストっていうのは外側から 襲いかかってくる脅威という形で認識されてたわけですけどタルーが登場してくる事によってペストっていうのはみんな それぞれ内なるペストとしてそういうものを持ってるんだと。 ペストという疫病を描き「不条理への反抗」を説いたカミュ。 最終回は ゲストに哲学者の内田 樹さんを迎えて反抗と連帯の思想について読み解いてゆきます。 講師は フランス文学者の中条省平さんです。
この方たちを一方から カミュはレジスタンスですけども一方の側から指弾して 糾明して告発するっていう事は まさにペストそのものの振る舞いになってしまうわけですからその正義の名においてですね語るって事は。 でも 自分たちが経験した 直近の歴史的大事件を経験したわけで多くの人たちは その中で傷ついたり 苦しんだり悩んだり 実際 死んだりとか殺したりしたわけですよね。
初めて 友情を確認するわけですけれどもこれ 半年以上 戦ってきたあとに初めて出てくるそのストイックさっていうものが何か 忘れ難いものですよね。 12月の寒さの中でも ペストは衰退しながら居座っていましたが町では ネズミたちが再び 活動を開始します。 タルーの葬儀の日リウーのもとに「そして災厄のさなかで学んだことペストはネズミたちを目覚めさせどこか幸福な町に送りこむのである」。