皇帝クラウディウスはアグリッピナの夫。 そばには 皇帝の前妻の息子で13歳のブリタンニクスがいました。 前皇帝クラウディウスの実の息子ブリタンニクスは西暦55年 ネロが皇帝になって間もなくのことです。 タキトゥスによればブリタンニクスは すぐに昏睡状態になりました。 3人の歴史家は ブリタンニクスがほぼ即死したと書いています。 ブリタンニクスに盛られた毒は色も匂いもなくしかも急激に作用するものだったと考えられます。
ブリタンニクスは即死したという歴史家たちの記述に疑問が生じます。 アグリッピナは公然と権力を主張しネロと母親は対立しました。 最初の硬貨が造られてから数か月後息子と対立して権力を失ったことが市民のための公共浴場や市場をつくりました。 「ネロは その夜 帰っていくアグリッピナを見送った。 間もなく死ぬ母をこれが最後と思って見た時アグリッピナはその夜のうちに 死ぬはずでした。 アグリッピナが亡くなったことは事実ですが死の真相は誰にも分かりません。 確かなことはアグリッピナがその夜 死んだという事実だけです。
それでも 大火の直後火事の原因は放火で虐殺したと言われています。 それは 歴史上最初のキリスト教徒迫害でした。 黄金宮殿は1480年に偶然 発見されました。 長年の研究と最新の技術によって黄金宮殿の全容をCG映像で再現できるようになりました。 黄金宮殿の建造によって ネロは理想の世界を築き上げました。 黄金宮殿はネロの終わりの始まりとなります。 ローマの中心に建てられた黄金宮殿は複数の建物から成り広大な庭園や池で囲われました。 それでも ネロは黄金宮殿を高さ30メートルを超える像はローマ中から見えました。
ポッパエアの死も 目撃者の証言とされるものはありますが何百枚も発見されました。 解読の過程で 死の床にあったネロの妻ポッパエアに関する記述も見つかりました。 それどころかパピルスに記された文章にはポッパエアとネロの 夫婦の愛の物語が 綿々と綴られていました。 歴史の通説では ネロが妊娠中のポッパエアの腹を蹴って彼女を殺害したということになっています。 オクシリンコスのパピルスは歴史家の書物以外にも情報源があることを示しています。 他にも ポッパエアは妊娠中に何らかの合併症で亡くなったという見方もあります。