一番大きい失敗をして なおかつ一番成功したのは徳川家康だと思いますね。 今日は 失敗しても天下人になった家康の知恵 学んでいきましょうか。 今回の主人公は動乱の戦国時代に終止符を打ち天下を統一したご存じ…しかし 実は江戸時代の軍学者 頼 山陽によると家康の天下取りの決め手は関ヶ原ではなくそれ以前の戦いにあったというのです。 兵力 知力ともにかなわない信玄に対決を挑んだ理由とは?1970年代 新日鉄釜石で選手兼監督として大活躍した森さん。
家康軍は浜松城へ向かっていちもくさんに撤退しますが信玄軍は 猛スピードで追撃。 信玄軍が一言坂で 逃げる家康の偵察軍に追いつくことができたのはしかし 急な知らせが入ります。 信玄軍が7キロ手前で進路を変え浜松城を通り過ぎ西へ進んだというのです。 家康が いぶかしがっていると信玄軍は三方ヶ原台地に上り家康は知っていました。 この場所まで家康を招き寄せたこともリサーチによる信玄の策略でした。 家康は 地形を把握していた信玄の策略にまんまと引っ掛かってしまったのです。
信玄の陽動作戦が巧みだったとはいえ…家康は 何が何でも信玄と戦わなければならなかったのです。 信玄が急激な勢いで遠江に侵攻してきた時家康は浜松城で籠城の準備を進めていました。 家康は 堅ろうな浜松城であればもっと長い時間持ちこたえることができそれを忠実に守ろうとしたんだっていうことですね。 実は 永禄6年家康の本拠地 三河で一向一揆が起こった時。 また 家康が身にまとっていた朱色のよろいを目立つからと言って2か月後 信玄は病死。