徳川家康公の11番目のお子様で御三家の一つ水戸家の開祖となりましたのが水戸中納言頼房公でございます。 ちょうど そのころ頼房公の身の回りのお世話をしておりましたのが京都 松原通 小間物屋又左衛門という人の娘で おしま。 泣く泣く問い弔いを済ませたんですけれどもどこか日本中に自分の親戚がいないかと調べた結果日本橋の裏だそうですなぁ。 江戸にも日本橋はございますがおんなじ文字を書いて大坂では 日本橋というんだそうです。 まあ 江戸は行政都市でございますからしっとりと落ち着いて 日本橋。
必ず ご恩返しをしますから』と言ったあの かわいそうな おしまの顔がねところで お前さん今日は 初七日だけれども同時に お七夜が来たんだよ。 動物の名前を まず付けたんだから今度は 植物にしようじゃないか。 それじゃ 寅松にしよう」というので名前が決まりました。 やがて この寅松が九つになりましたちょうど その年の梅雨時。 あれも本来は五月晴れと呼ぶんだそうですね。
「だからさ あの 踏み台が寅坊の昨日のごはんに変わっちゃったんだから今日は もう何にもない…」。 幾重にも幾重にも くるんでありますのを一生懸命に ひもを解いていよいよ中を調べてみると中から出てまいりましたのが文字は読めませんけれども何か書きつけが入っている。 宗右衛門は 香合という「おっかあ 変なのが出てきた…。 ちょうど そのころおんなじ長屋に住まっております江戸の日本橋の道具屋のせがれだったんですが実に いい身分の男でございます。 宗右衛門のうちの前でピタリと歩みが止まりました。