お話し頂くのは 正眼寺住職で正眼僧堂師家の山川宗玄さん。 まあ 皆さんに坐禅の説明をするということで菩提樹の下でですね 坐を組まれて悟りを開くまではこの坐を解かずとここから立たずというふうな決意をされて七日間 七夜 坐られて八日目の未明に悟りを開かれたという故事があるわけですね。 坐禅というものはですねまあ いろんな表現はしますが特に臨済禅では「安楽の法門」というような表現をいたしましてね特に人間の この歴史をたどるということが 私にはできませんがこの方と坐禅をしたあとにこういう話を聞きましてですね。
侍者さんは 坐禅中に皆も大変だろうといってお茶を持ってきてくれたりとか あるいはちょっと坐禅中に体調を崩した者とかそれでなければ 生活できませんわね。 そうした途端に坐禅の境地も グッと深まりますし坐禅自体が苦痛ではなくなる。 これができるようになれば 坐禅も安楽の法門になっていくわけです。 私は 短大の学長も兼ねておりますので短大の方で セミナーを一般の人に公開講座ですね毎月のようにしてるんですが椅子坐禅ですね。
一番簡単なのは数息観という呼吸法なんですがつまり 吐く息に合わせて数を数えていくんですね。 これは 中峰和尚という方なんですが簡単に言えば 外も内も静まっていることこれが坐禅だっていうんですよ。 坐禅をして 自分自身を調えていくこれ やむをえないんですよ。 手足の感覚も 胴体の感覚も究極的には ここから上の感覚もなくなってしまうんですから無重力ということは 自分の体の感覚がないっていうことですよね。
それを 臨済禅独特の問題集としたものが公案というもので1,700則あるといわれているんですね。 私自身の経験でこれ 「拈華微笑」というんですが一輪の花を持ってこられてこのように 皆に示されたんだそうです。 動揺が走ってどういうことだ どういうことだと拈華微笑というんですね。 そして ここの道場から実は和歌山県の由良の興国寺という寺を看護せよというふうに老師から言われまして派遣されたわけです。 右手に花を掲げていてつまり 拈華微笑の姿の仏像なんですよ。
自分自身を丸出しにして 本尊さんお釈様と話をするんだというのがですから参禅のヒントが そこにあるわけで参禅の答えがあるわけではないんです。 それに対して 雲門文偃禅師「体露金風」と ひと言で答えられた。 それこそ 自信もないというようなそういう時に至って同じような お坊さんがですよ弟子から「一体 どういう心境ですか」って言われた時に「体露金風」と答えた。