新日本風土記「下北半島 夏」

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この番組のまとめ

本州最北端 下北半島。 日本海と太平洋の出会う ここは「難破岬」と呼ばれてきた海の難所です。 夏 下北半島を襲う冷たい東の風は ヤマセ。 北の果て 下北半島の短くも鮮やかな夏をご一緒に。 下北半島の真ん中鬱蒼とした原生林に囲まれて人は死ねば おやまへ行くと信じられてきました。 平安時代の僧侶が一体の地蔵を刻んで霊場を開いたといいます。 八角円堂に続々と持ち込まれる死者の記憶。 平安時代 エミシ討伐の命を受けた…なきがらは鯛島に葬られた。

大間の人々が眠る ただ一つの共同墓地。 海峡に突き出た大間岬は中世から昭和まで墓石のてっぺんからドラゴンやロケット。 大間の寺は境内が狭くお墓は歴代住職のものだけ。 鉄橋のすぐそばで床屋を営むのはここで生まれ育った…大湊から大間の要塞まで軍事物資を運ぶ目的で着工。 例えば レールでも何でもそういう資材が実際は 大間鉄道に使われるものも全部そっち行ったんだって。 大間鉄道の起点 大湊は明治時代から 本州最北の軍港として北の護りを担ってきました。

これ ず~っと行くと太平洋だから。 何だっけ 廃棄処理六ヶ所村っての あるじゃない。 太平洋が近いしね。 すぐ太平洋だから そっち。 江戸時代 ここに首のない地蔵が流れ着き信仰が始まりました。 上方と蝦夷地をつなぐ北前船の寄港地として栄えました。 これは西郷隆盛の書です。 箱館戦争で軍資金を提供したお礼にもらったという西郷どん直筆の書。 そして ここが西郷南洲。 上方の文化が 北前船で近江 滋賀 福井から流れてきたんではないかなと思います。