こころの時代~宗教・人生〜選 禅の知恵に学ぶ5「いのちをいただく―典座・托鉢」

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この番組のまとめ

朝課のあとに韋駄天典座のところにある典座を守る神様が祀ってあるわけですね韋将軍とか韋駄天といいます。 そういう面で ほんとに外部からの援助によってヒンズーの神… まあヒンズー教が先にあったわけですが韋将軍というんですかね韋駄天さんも自然に取り入れられてきたわけでしょうが特に 食べ物を集めるには外を走り回らなきゃなりませんね。

ほんとに虫歯になると治療もできませんのでねだから現実問題でカルシウムがないというのは 大きな問題だと一瞬思った畑で一緒に引っこ抜いてそれをいただいたってこともあります。 一年前では 多分そういう発想はできなかったと思うけども。 それでも まだ熱いぐらいですけどその熱いのをフーフーいいながら いただくとですね五臓六腑に染み渡るという言葉は多分こういう道場にいないと分からんでしょうね。 一番修行年数がたっている者が一番先頭を歩きます。

それで その家のところで要するに 門戸のとことかあるいは 玄関のところで「こんにちは 伊深正眼寺仏餉の志をお願い申します」と言って大きな声で 声かけるわけです。 こ~んにちは〜 伊深正眼寺仏餉の志をお願い申〜します。 …に 托鉢禁止令というのが政府から出たんですよ。 そこで困り果てたところの雲水の何人かの一人がですね峨山さんたちだということになってるんですが天龍寺にですね 仏舎利を奉持してる寺が いくつかあるらしいですね。

アンバランスなもんだから血液 流れなくなるんだけど全体が同じような温度になると流れていくっていうのを体験してますね。 点心場で出された食事は もう ともかく我々のために 雲水のためにその時には多分 7~8名での点心場での食事をいただくことになったんです。 その時に その点心場の話が出ましてね伊勢えび かみついたなっていう話になったんですよ。

特に正眼寺では 今は托鉢に出ても大体 均等… 平均的な米をいただけることもありますが私らが出た頃には家によって いろんな米がありましたね。 だから 私は年寄りだとか 若いもんだとか外国人だとか 全部なくなって3年もんだとか1年もんだとかそういうの全部外れて米という自覚のもとで炊くもんだから炊けるんです。 微妙に違うんですが それを理屈を抜きにしても ただ唯一鼻の感覚と 熱の雰囲気とで自分で判断するしかない。

地獄 餓鬼 畜生といって餓鬼の世界は 食べ物や物に対して満足できなかった者が落ちる世界だとこう言われてますね。 その時に 手で持って食べようとするとそれが炎に燃えてしまったりとかつまり お前たちだけ うまい物食って何てやつらだ というふうな妬み心を持つのが 餓鬼道の人らしいです。 餓鬼道というのは そういう餓鬼道の世界があるという意味じゃなくて我々の心の中に餓鬼道の世界がある。 現実に餓鬼の世界に生きてるのも我々でもあるわけです。 餓鬼にお供えするってわけではないんですよ。