江戸幕府は 大坂の陣以降大きな戦乱もなく支配体制が確立。 しかし キリスト教徒の反乱を きっかけに幕府の国内政策 対外政策は大きな転換を 余儀なくされます。 更に 台湾やインドシナ半島など東南アジアの各地で日本と明の商人が取り引きする出会貿易も 盛んに行われました。 このころ ヨーロッパではスペインから独立したオランダと毛織物工業の盛んなイギリスが台頭し国家の保護のもとそれぞれ 東インド会社を設立して平戸に 商館を開き日本との貿易を開始しました。
諸大名に キリスト教の信者を捕まえるよう命じ…1635年には日本人の海外渡航を一切 禁じるとともに江戸時代の初めは外国との貿易が盛んだったんですね。 さあ 貿易における幕府のメリットはやっぱり 財政が潤うっていううまみは あったと思うんですがそれでも貿易を統制しなければならないほど2018年 この大浦天主堂を含め長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連のキリスト教に入信したキリシタン大名有馬晴信と小西行長の影響で多くのキリスト教の信者がいました。
また 蝦夷地の南端を支配していた松前藩はアイヌの人たちとの交易を独占的に 行い鮭や昆布 毛皮などをこうして 鎖国下の幕府は長崎・対馬・摩・松前を通して異国との交流を持ちました。 鎖国って非常に 難しいんですけども日本が シャットアウトしたのはキリスト教なんですね。 で 研究者の中には完全に シャットアウトしてないんで「鎖国」っていう言葉を使うのはよくないって言う人もいるんですけども。 でも 「鎖国」って言葉はですね現在の研究者が作った言葉じゃなくて江戸時代の人が「鎖国」だと言ってるんですね。