先人たちの底力 知恵泉 選「新しい女の生き方 昭和編 長谷川町子」

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この番組のまとめ

家で漫画を読みふけっていただけの少女がなんと…「ト ユウワケデサザエさんモ コレデ オシマイ」。 そして 山田先生はね現代家族を 社会学的に分析されていらっしゃいますけれども。 毎週木曜日は「さあ 今日は朝からうそをつく日だ」って言って。

昭和6年から10年にわたって少年雑誌に連載され町子は 自伝漫画の中でこう描いています。 ある日「田河水泡のお弟子になりたいなぁ」と つぶやくとそばで聞いていた母親が「ちょっと行って頼んでみなさいよ」とのんきに言いだしました。 16歳で東京日日新聞に 初めての連載漫画。 女性漫画家の草分けとして町子は 華々しいスタートを切ったのです。 地元 福岡の夕刊紙に連載漫画を描いてほしいという依頼でした。 10代の町子ちゃんが 田河先生の絵をね手が覚えるまでずっと描いたのかっていうのが何か これを見た時に思えて。

で やっと受かった美術大学をドアを開けたら みんなの絵があってこの大学で自分が最下位だっていうのが一瞬で分かるぐらいの実力がもって…。 その「サザエさん」がいかにして国民的漫画になったのか見てまいりましょう。 女性問題の論客として長年活躍してきた…家庭の中で女性の立場が強くなると男性の役割も変わってきます。 「サザエさん」の連載時期と重なるように日本は 高度経済成長を遂げていきます。

亡くなってから2か月後 戦後の社会に潤いと安らぎを与えた功績が認められ漫画家としては唯一の国民栄誉賞が贈られました。 VTR 改めて ご覧になって何か 新たな発見みたいなものってありました?「サザエさん」は 長谷川さんもやっぱり あの生涯独身であったって言いますけどもあの家族が全部お子さんだったんだなあなんて思ったんですね。 まあね 山田先生 現代家族を社会学的に分析されてるわけですけれどもどうお考えですか?今となっては本当に…何つったらいいのかな。