そのブルデューの専門家の人からすると怒られるかもしれないんですけどどうやって人が分けられていくかって話やと思うんですよ これって。 何か 自分の経験でいうとたまにこう 社会問題になる ゴミ屋敷をバラエティーで行ったことがあって「あっ 理解はできる」っていうことが出てきたりするのが「他者の合理性」だし僕は そこを冷静に書くというより「面白い」を ちょっと加えてしゃべっていっちゃうのでそうすると それは社会学ではないんだけども。
まあ 打越正行がブルデューにその影響を受けてるということではないんですけど僕の中では 見方では割と その同じようなことをやっててまあ ヤンキーっちゅうんかな割と その 地域社会からもその 親族関係からも排除された沖縄の若者たちのエスノグラフィーを書いたんですけど彼はね コンビニの駐車場とかでたむろしてたその 暴走族の若い子らのとこに歩いて 近寄っていってへえ~ すごいですね。
さあ他者を理解することについてのブルデューの言葉もう少し 聞いていきましょう。 ブルデューは 他者に理解されることで自分自身を理解できるようになるといいます。 他者を理解することとはその人のハビトゥスを把握することだと。 それが ハビトゥスやということやと思うんですよね。