この作品を制作されましたディレクターのレータ・フフタネンさんとオンラインで つながっています。 Hello Reetta.Hello.Hello.Massive congratulations to you.部会リーダーのロブ・ミクロークリンさんから講評のビデオメッセージが届いています。 Thank you.そして本日は 皇嗣妃殿下 紀子さまより開式にあたりお言葉を頂戴しております。
シリアは オロンテス川の向こうに砲弾を浴びせイドリブ県を荒廃させるつもりなのだろうか。 特派員の主人公は 偽名を使い「なんて刺激的なんだ! 冒険 スクープ美女 スパイ! これこそ自分の天職だ」と。 正規の特派員として最初に派遣されたのはベルファストでした。 ベルファストでの経験は中東へ行く前の準備となりました。 カーネーション革命後のポルトガルを取材していた頃外信部の上司から中東を担当しないかと言われました。 そこで 「インディペンデント」に移ることに決めたのです。
1982年 レバノンの難民キャンプサブラとシャティーラで起きた大虐殺は第2次世界大戦での悪夢に匹敵します。 このすさまじい戦争犯罪はイスラエルに責任があると直感しました。 イスラエル軍は キャンプを囲みレバノンの民兵が虐殺を行うのをただ見ていたのです。 イスラエル軍のある兵士は市民が連行される際上官から「何もするな」と言われたと述べています。 もはや ジャーナリストは イスラエルを批判することを恐れる時ではありませんでした。
まるで1915年のアルメニア人虐殺についてのトルコ政府の見解のようです。 私は ボスニアの兵器工場が作成した迫撃砲のデータブックを見つけた。 その文書は明らかに かつてのユーゴスラビア ボスニアの工場から兵器が出荷されたことを物語ります。 兵器の輸出には 国際法が規定する「最終用途誓約書」が必要です。 面会の6日後 あの兵器に関する最終用途誓約書の所在をあれらの迫撃砲を含む兵器は送られた国であるサウジアラビアが最終用途誓約書を発行したはずです。
兵器を絶たないかぎり 戦争は続く。 トルストイは ナポレオンがロシアに侵攻した際に こう言いました。 私の父も 第1次世界大戦の塹壕戦で苦難を味わいました。 晩年になって父はあの戦争が欺瞞に満ちかつて上官から聞かされていた物語は事実ではなかったと気づきました。 二次資料に頼ったりニューヨークにいて 事件が起きた場所も分かっていないような専門家の話を聞くのは 時間の無駄です。 シリアの内戦では 何度もガス兵器が使用されたと思われますが化学兵器査察官による暫定のリポートではサリンの痕跡は見つかりませんでした。
アフガニスタンの国境では実際に石を投げられました。 バグダッドのアミリヤでは アメリカ軍のミサイルが シェルターを破壊ビンラディンとは1993年にスーダンで初めて会いその後 アフガニスタンで2回会いました。 言葉をずらすことで 植民地主義の戦争や土地の収奪や殺りくを異なる響きに変えアミラ・ハスは パレスチナ自治区で活動するイスラエル人ジャーナリストで25年ほど前 土地を追われたあるパレスチナ人の一家を取材しました。