ROLANDさん! また今日もステキですね。 大火や大地震 飢きんなど天変地異も相次ぎ社会不安がまん延していました。 そんな長明が見いだした…大手新聞社で社説やコラムを担当。 鴨 長明と稲垣えみ子さん。 ROLANDさんが言ったら ちょっと…。 改めまして 元新聞記者の稲垣えみ子さん。 そして 随筆文学に詳しい国文学者の島内裕子先生です。 稲垣さん鴨 長明のイメージっていいますと…?いや 私はもう…同志!同志ですね。
「方丈記」は僅か原稿用紙二十数枚にまとめられた鴨 長明の…一体 何があったのでしょうか?下鴨神社の神職を務める家系。 長明の父 長継は鴨家の分家出身でありながら神官のトップである正禰宜を若くして務めた人物でした。 当時としては 異例の…なぜ あえて更なる孤独な道を?長明は その訳を「方丈記」に記していません。 昔の和歌の研究をしたり 歌を詠んだり時には 歌会に参加するなど今で言う 聖地巡礼だった可能性が。 和歌に熱心だった後鳥羽上皇の勅命で勅和歌集「新古今和歌集」の編纂が始まります。
そうすると じゃあ ここの知恵が「積極的に“ひとり”になれ!」っていう知恵なんですけどROLANDさん的には まさに共感できる?僕は本当に 何かを創作したりクリエーティブな仕事をする人はひとりになれる時間ってすごく貴重な時間だと思うので。
和歌で人生を切り開いた長明でしたが充実した生活も僅か3年で終わりを迎えます。 元久元年 後鳥羽上皇は長明を下鴨神社の摂社で鴨家ゆかりの河合神社の禰宜に推挙します。 長明は 和歌所の仕事も辞め出家してしまいます。 長明がたどりついたのは京都郊外の日野。 仏教の修養の場と琵琶や和歌を愉しむ芸術の場にそして 自らの人生を振り返って「方丈記」を書き始めます。 「方丈記」の冒頭に登場するのは…長明が遭遇した…自らも不条理な現実と向き合った福島県在住の…元暦二年七月九日。