ROLANDさんもね 一国一城の主と。 つまり…あれ?そんな人 ほかにもいませんでした?そう 「方丈記」の作者…長明は 兼好より およそ100年前にいえいえ 私はキャリアアップのためかな。 兼好の「おひとりさま」暮らしは自分の才能やキャリアを伸ばすためだった!?「徒然草」を見てみると…。 「徒然草」には 兼好ならではの実にさまざまな極意が潜んでいます。 江戸時代になると…「徒然草絵抄」っていうね江戸時代の木版印刷の本なんですけれども。
私が思うに「徒然草」のすばらしさとか面白さを一番よく理解している時代は今現在だと思いますね。 そして まあもう少し広げて言えば明治時代ぐらいになってから幕末の坂本龍馬なんかもね手紙の中だったでしょうかね「徒然草」読んでるとかね。 その2年後の弘安六年兼好こと 本名 卜部兼好は京の都で生まれました。 兼好は 19歳で後二条天皇の蔵人として出仕します。 「徒然草」の大ファンであるお二人は兼好が出家した理由を こう推察します。 つまり 兼好は貴族社会という組織を離れ個人で働くフリーランスの元祖と言えます。
兼好のもとには 対立関係にあった北朝と南朝 それぞれの要人が外に飛び出すことで 自らの価値を高めキャリアアップへとつながる環境を勝ち取っていったのです。 ROLANDさんも独立してお店を持たれましたけれども既存の組織から離れるっていう 何かその思いみたいなものっていうのは何か…。 それまで結構 家賃20万ぐらいする超豪華マンション住んでたんですけどもう不動産屋とかも「あっ法人契約なんで全然 大丈夫」みたいな。
兼好のイメージ…でも 髪形って結構 アイデンティティーの証明でもあったりするから。 実は もう一つ 「徒然草」の兼好の知恵を読み解く方法っていうのが連続読みというのが一つポイントなんですね。 「名声や財産などを人生の目標とすることの愚かさ」を兼好が「達観した境地」で書いたというのが定説です。 しかし 島内さんは第1段から連続して読み進めると38段は 従来説と違い兼好の挫折がウラにあるといいます。 では 高位高官となり 名声を残すという目標は どうだろうか?それも中国の古典で否定されている。
勇猛な武士とかは 多分自分が非力な部分があったからですよね。 さあ ということで続いては ROLANDさん いきますか。 ROLANDさんに…。 ここの知恵がねちょっと改めてお伝えすると…稲垣さんなんか どうですか?私なりに見つけたことは…あと 目標達成のために時間を2種類に分けちゃってROLANDさんは どうですか?「今を楽しむ」っていう これ 知恵は。