さて 今回は 京山幸太さん 春野恵子さん天中軒雲月さん 松浦四郎若さんの浪曲四席を お届けします。
親の病気が治ったらお世話になるを楽しみに 私が死んだ そのあとは 可愛い倅の政吉は 寄る辺 渚の 捨て小舟 艪櫂とられて ただ一人 どうして暮らしていくじゃやら それを思えば 政吉よ 母は死んでも死にきれないと 旅を続けて東海道 清水港へ行ったとき 次郎長さんに あったなら ところ 遠州浜松で まだ見ぬ人をば恋慕い 泣いて暮らしている子があると 忘れず言うてくださいと 聞く次郎長が たまりかね 思わず 知らず 立ち上がって 子供の体を しっかと抱いて 汚れた顔に 己が顔 ぴったと当てて 溢れる涙も 瞼で
その 話術の基本となるのはやはり 滑舌ということでマサチューセッツ州マサチューセッチュ州マサチューセッチュ州。 幸乃さんは アントニオ猪木さん風で早口ことばです。 それでは 麻衣さんは宝塚歌劇風で早口ことば。 ところで 麻衣さんの師匠である三原佐知子さん。 ラジオパーソナリティーやテレビ番組のナレーション舞台役者としても活躍。 英語浪曲にもチャレンジしている春野恵子さん。 今日は 太閤秀吉がまだ 日吉丸だった幼い頃のエピソード「出世太閤記~秋風矢矧の橋」の一席。
気にもとめない呑気な小僧 着たきり雀の風来坊 ボロの着物に縄の帯 垢にまみれて目ばかり光る 歳は 十二か十三か 柄が小さく気が強く 猿によう似た面がまえ 橋の袂にたたずめば 枯れた柳に秋の風「あ こんなところに筵が落ちていたぞ。 またもゴロリと 筵かぶって横になる 折から耳にザワザワと 大地にひびく足の音十人余りの家来を従えた野武士らしい逞しい男。
スタコラサッサと逃げ出しながら 心の中で思うには 蜂須賀小六のすすめでも 野武士の家来になってまで 武士になるのは真平御免 どうせなるなら 立派な人に仕えた上で この戦国の荒波を 知恵と度胸で乗り切って 立ててみせたい功名手柄 その念願が実を結び 三十余年過ぎた日に 見事 花咲き豊臣の 太政大臣関白の職になおった秀吉こそ 矢矧の橋の日吉丸 人生 五十うたかたの 十三才の その昔 流浪の果てに宿をかり 恵みを受けた蜂須賀は 後年 阿波の徳島で 二十五万と七千石 踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損と
名残は尽きぬ さらばじゃと 宗吾が庭に 降り立てば この世の別れ 只一目 差出す幼子 確りと抱いて 宗吾は 自分の顔を幼子の顔に刷り付けて 火の付く様に 泣きだせば 寝ていた二人が 目を覚まし あれ兄ちゃまよ 父ちゃまが 坊達 おいたしない故何処へも行って下さるな 流石 豪気の宗吾郎も もしも此の身が 止まれば 縋る子供の手を振り放し一足 表へ踏み出せば 父ちゃん待って旦那様 話残した事がある 堪え堪えた 男泣き 助けてくれて 嬉しいぞ 天下の御法 曲げられず 遂に哀れや 佐倉の城下江原ヶ台の露と消ゆ
お~! すばらしい!やった~!すごい!続いて チャレンジするのは何でしょうか?続いてはですね ジャグリングの花形トスジャグリング。 そんな 麻衣さんにはですね御褒美にこのあと 浪曲で ご登場の松浦四郎若さんの浪曲の紹介を 是非していただきたいと思います。
一戦まみえ籠城討ち死にいたすことこそ奥方様へ二万両ご舎弟 大学様へ一万両更に評定の結果殉死追い腹とさらばりました。