美術館誕生のきっかけは大正から昭和にかけて活躍したある大阪商人のコレクション。 今月の2日にオープンした大阪中之島美術館。 リートフェルトというデザイナーというかな建築家でもあるんですけどもこの美術館を構想する時に外部有識者というか 先生方がですねどういう美術館がここに大阪にふさわしいかということをいろいろと議論して頂いた。 その中で工芸というのじゃなくてつまりこの町は商業都市であり 産業都市でありそういう歴史を持っている町だから美術館もするとしたらやはり近代デザインじゃないのかと。
佐伯祐三に関しては例えば有名な話で1回目にパリ行った時にヴラマンクというフォービスムの画家のとこへ行って「アカデミズムだ お前の絵はアカデミズムだ」と言われて… 描かれたりしますよね。 そういうオリジナリティーの追求みたいなのを佐伯の場合は 純粋性として考えてそういうふうに佐伯はパリでやったんですよという一つの物語を体を壊しても絵を描き続け30歳で亡くなるという壮絶な生涯。
發次郎は家族にも 画家 佐伯への思いを更に發次郎は 作品を飾る美術館をつくりたいという夢を太平洋戦争末期になると本土への空襲も激しさを増します。 これこそが美術館建設の原動力となったものでした。 この寄贈をきっかけに美術館建設という發次郎の夢が再び動きだします。 蔵を改造したところを「グタイピナコテカ」という名前で要は美術館としてつくっていくわけです。