NHK高校講座 日本史「モンゴル襲来と社会の変貌」

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この番組のまとめ

♪~鎌倉時代中期から 後期にかけてです。 執権政治が確立されたあと幕府を支える御家人たちは変化する社会の流れに取り残されていきます。 今日は 鎌倉時代中期から後期にかけてです。 鎌倉幕府が執権政治を確立していった頃東アジアでは モンゴル帝国が支配を拡大していました。 その支配領域は 13世紀後半には中央アジアから 北西インド日本の征服も 計画しました。 元軍の集団戦法と火薬を使ったてつはうと呼ばれる武器を前に一騎打ちを主としていた日本軍は非常に 苦戦しますが元軍も 損害が大きく退却していきました。

そしてこのモンゴル襲来が御家人を困窮させる要因の一つとなりました。 しかも 戦う時は自分たちが こう 負担して自腹で 身銭を切ってるのにこの時代は 農業技術が発達しました。 また 農作業の副業や家内仕事として始められた手工業も 発達しました。 農業技術の発達により原料作物の収穫が 増えたことから手工業品の大量生産が可能になったのです。 この貨幣経済の浸透が2度のモンゴル襲来とともに御家人を 困窮させることになるのです。 農業を背景に手工業が 発達していって大量生産できるように なったんだよね。

当時の日記にも 「どこどこでモンゴルの襲来があったらしいよ」へえ~。 ところで…今度は 高麗の立場からモンゴル襲来を 見ていきましょう。 高麗は 1231年ごろから繰り返し モンゴルの襲来を受けていました。 30年近く 抵抗を続けますが1259年 ついにモンゴルに降伏します。 高麗王朝を守るために選抜された三別抄という軍人集団です。 このように…それから 国際的な視点他の国の視点に 立ってみる2度にわたるモンゴル襲来を乗り越えたものの十分な恩賞をもらえなかったことにより御家人は 困窮することとなりました。