★日テレ開局60年キャンペーン★ 笑ってコラえて!生放送3時間スペシャル

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全海外支局が総力取材。 フランス・パリ支局はヨーロッパ最大の日本博覧会、ジャパンエキスポに潜入取材!今どきの日本を代表するセレブが集う会場で。 日本の歌、超うまのフランス人が続々登場!アメリカ・ニューヨーク支局からは、聞いてびっくり、御年91歳にして、現役の墨絵画家、ラン、ル・ムーリスで創業した32歳の若き天才シェフ、杉本雄。 さらにさらに、きょうは特別に笑ってコラえての放送開始以来17年間続く、ダーツの旅から厳選された超爆笑VTRを時間の許すかぎり大公開笑ってコラえて!3時間、全海外支局が総力取材。

ここでもう一丁、スペシャルゲストさんからのスペシャルヒント。 なんか最初は目立たなかったけど、最近になってすごい頑張って、努力してる姿が見られる?家にDVDボックスもある。 ここでスペシャルゲストさんから最後のスペシャルヒント。 スペシャルゲストはキスマイフット2の2人。 あと同世代でもさ、なんか自分は分かってるみたいな感じで、なんか最近売れ出したねでもBOXまで持って見てくれてるんだもんね。 1953年の、本当60年前の。

日本列島ダーツの旅。 ダーツが最初に当たった先は、沖縄県金武町。 今、何やってらっしゃったんですか?今ですか?スティックボードです。 違います、一応仕事なんですけど。 仕事?なんのお仕事されてるんですか?実は東京の日本テレビという所から参りまして。 金武町が?やっベー!お祝いしないといけないからね!はい!ヤッサッサー。 金武町の夏、日本の夏。 山城基宏さんと陽気な仲間たち。 秋田県八森町。 何?日本テレビだって?はい。

いや、実はですね、小松原支局長はですね、日本が恋しくなって帰ってしまいました。 これからは私、成家が新支局長として頑張ります!成家でいいや。 成家新支局長就任の翌日、スペシャルへ向け、早くも支局会議が開かれた。 成家支局長は東京の日本テレビに連絡し、のどじまん大会の貼り紙をさせてもらい、出場者を募ることに。 そして、大会の審査員は、フランス人の母と日本人の父を持ち、パリを中心に活躍するプロ歌手、ミシェル・ミチナ。

審査員の評価は?松竹松、これも高得点だ。 昔つきあった日本人女性に初めてささげた歌も、安全地帯のこの曲でした。 エントリーナンバー4は、今回、最年少の15歳、マカロン。 果たして審査員の評価は?松松松、満点。 支局長はマカロンにのど自慢ザ!ワールドという番組を説明し、そこへ挑戦することを勧めた。 フランスの切ない15歳が、日本へ初めてやって来る。 あれも審査員の方、オリジナルなの?って言ってましたけど、あれ、オリジナルだとしたらすごいトリッキーですよ。

NNNニューヨーク支局長の小野です。 はーい、なんちゃって支局長の藤山と。 現地支局員のアダムです。 ですよね、所さん、実は今回ですね、スペシャルということで、特別に、本物のニューヨーク支局長である小野さんにわざわざ来ていただきました。 今回、今私たちがいるのはですね、こちら!本物のニューヨーク支局の報道フロアから生中継しております。 ニューヨーク現地支局員のアダムでーす!あっ、アダム!久しぶり、元気?そんなことよりも藤山さん!ニューヨークでだいかつやくしてるすっげぇ人がいますよ。

山本紅浦さんの作品は、かつてニューヨークの総合芸術施設、リンカーンセンターや、ワールドトレードセンターのロビーで展示され、その繊細かつ力強い作風は、高い評価を受けた。 山本紅浦・本名・山本雅子は1922年、日本人が多く住むカリフォルニア州サンノゼ市アルビソで生まれた。 父、和太郎、母、さよともに日本人だったので、雅子さんも日本語は覚えたが、最初の僅かな時期を除き、通ったのはアメリカの学校。

皆さん、私はこの収容所に、美術学校を作りたいと思っています。 美術学校?この非常時に、美術が一体なんの役に立つんだ!われわれはそんなことをしている場合じゃないだろう!いや、どんな環境にあっても、教育は食べ物と同じように大切です。 その後、小圃は、当局と粘り強く交渉を重ね、ついに収容所内に美術学校を設立した。 雅子さんは収容所内で看護師助手として働く一方、週2回、小圃の美術学校で水墨画を習った。

だが紅浦さんに学んだことを生かし、版画の下絵を鉛筆書きから墨絵に変えたという。 本当にすばらしい、かっこよどうですか?僕もね、絵、習いたいと思い先生、いかがでしたか?VTR見て。 紅浦さん、あれですよね、収容所で先生と会わなかったら描かなかったですもんね。 もし小圃先生がいらっしゃらなかったら、たぶん洋画、描いたものをやったと思います。 たぶん小圃先生見てたら、してたら喜んだと思いますね。 あのですね、ここで特別に紅浦先生に墨絵を描いていただきたいと思います。 VTR回転と机運び?では先生、お願いします。

最強オモシロ村人傑作選をご覧ください。 ダーツの旅17周年、最強オモシロ村人傑作選!ダーツは一直線に飛んだ。 岩手県松尾村。 で、水はすんごくうまい!腹式呼吸してよ、はぁー、ふぅーってやって、あと水、黙っていれば結構美人、湯下美幸さん。 お知らせのあとは、最強オモシロ村人自分で自分のことが分かっていない人編。 秋田県阿仁町。 自分の山で杉育ててて、杉花粉症じゃ、ちょっとつらいですね。 自業自得!干場徳治さん。 秋田県鳥海町。 んーっ、なん、東京、空気悪うと、言うたら悪いけど、僕、頭いたなんねん。

宮城県栗駒町。 これは?鹿児島県菱刈町。 JAに?お仕事されてたんですか?JA?もう私は、ゼ、あの、お茶っ葉と一緒に、夏は麦茶、冬は普通のお茶。 これ、ダーツの旅17年で見つけた最強オモシロ村人純愛編。 福岡県久山町。 すごい、すごい!何年生ですか?高2です。 みんな何年生?高2です。 ねぇ、ねぇ、僕さ、名前、知佳ちゃんや!知佳ちゃん!知佳ちゃーん!知佳ちゃんが、遊びじゃないかなって心配してたよ。 知佳ちゃんのどこが好きなの?言っていい?笑顔。 知佳ちゃんにちょっとメッセージを。

でも今、きっとそれ10年前ですから、今、パリジェンヌになっちゃったの?パリ支局は20周年を迎えたディズニーランドパリからまだまだお送りします。 所さんがたぶん気になってるパリで活躍する日本人を取材してきましたので、それではVTR、シルブプレ!盛り上がってるな。 パリ支局はことし7月、ジャニーズの食いしん坊将軍、この超一流レストランで超一流の豪華極上フレンチを堪能。

作るのはシェフ得意料理の一つ、舌平目のムニエル。 その調理場こそ、帝国ホテルの誇るメインダイニング、レ・セゾン。 そのときの田中料理長っていう、総料理長なんですけど、すごいよくしていただいて。 今も帝国ホテル総料理長を務める日本を代表する料理人の一人だ。 なぜ杉本さんをメインダイニングに抜てきしたんですか?目が輝いてたね。 正式に魚部門への配属が決まり、憧れだった帝国ホテルのちゅう房に、料理人として立つことができた。

その後3年間、帝国ホテルで腕を磨き、23歳になっていた杉本青年に、ある思いが生まれた。 スピードで日本を飛び出した青年の決めた目標は、パリのレストランで働くこと。 そこで覚えたてのつたないフランス語を使い、手紙を書いては、パリのレストランへ送り続けた。 杉本さんはフランスに渡って僅か4年で、パリの三つ星レストランで働くという、自分が決めた目標を達成した。 昨年2012年には、フランスで最も歴史あるプロスペールモンタニエ料理大会では、日本人初となる優勝を成し遂げた。

ごあいさつのあと、田中総料理長は店の奥へ消えてしまった。 もちろんニュースでね、コンクールで優勝したとき、3つ星のニュースとかも見て、そこの経緯を僕全然知らなかったんで、突如現れた天才なんだなと僕、思ってたんですけど、こういうみずからぐいぐいつかみ取っていった行動力のある人だっ所さん、パリ支局が見つけたいいネタがありますよ。 パリ支局でも、小松原前支局長時代から、フランスでの日本ネタを探していた。 ょうか?何エキスポ?ジャパンエキスポ。 ジャパンエキスポなんてあるの?えっ?ジャパンエキスポ知らないのかよ。

今、触れられるジャパンは伝統文化の折り紙や、書道に加えて、キャッツアイの作者、北条司や、キャンディキャンディのいがらしゆみこなど、日本が誇る漫画家のサイン会。 2013年、ジャパンエキスポ初日。 案内役のクララ現地支局員も、立派な日本好きのパリジェンヌ。 ジャパンエキスポの会場は、9時開場。 あっ、どうも!きょうはどうしたんですか?うちのこの現地支局員のクララというんですが、3人の中にファンができたというんで。

夏菜がことしジャパンエキスポへ招かれたのは、週刊ヤングジャンプ過去20年間のベストグラビアを集めた、日本のアイドルグラビア展示会のサポート役としてだ。 フランスの夏菜ファンは、サインをもらうため、長蛇の列を作っている。 大の夏菜ファンの小松原氏局長も並んでいた。 小松原支局長。 ご機嫌ななめのクララをなだめ、支局長は夏菜おもてなし作戦のため、すてきなパリの穴場を急きょ探し始めた。

パリ最高!エッフェル塔!小松原さんと一緒に見たんですけど、全然小松原さんが、目合わせてくれなくって。 あのイベントのあとに、例えばね、夜ずっとあの川とか、エッフェル塔とか、なかなかないでしょう?ないです、ないですし、ことし花火も見れなかったんで、なんかこう花火見た気分じゃないですけど、パリでぜいたくな夜を過ごしちゃったなっていうのが、もう楽しくて楽しくて。 クララ支局員のクララ支局員の本職はアーティストで、夏菜さんがロケしたあとに、審査を通りまして、入居が決定しました。

おお、どんな人?どんな人?僕のブラジルじゃないんだけど、隣のアルゼンチンにいる人で、すごーい人なんだよ。 ええ!ブラジル・サンパウロ新聞にも紹介されているそのすごい人の名は、高木一臣さん。 アルゼンチンというより、南米で有名な方で、多才の持ち主とある。 また、あでやかな踊りと、悲しく美しい旋律のアルゼンチンタンゴは、船乗りや港の女たちに愛されてきた代表的文化だ。 まあ私は歯にきぬ着せずにズカズカものを言う点もあって、非常に人気があるわけなんですよ!高木一臣さんは1925年、三重県尾鷲市で生まれた。

そんな拓大魂は、アルゼンチンへ渡り、80歳を過ぎた今でも変わっていない。 そんな日本に敬意を表していたのが、アルゼンチンの船だった。 アルゼンチンの船の中は、アルゼンチンの領土だと。 そのとき高木さんの心には、少年時代に聴いたあのアルゼンチンタンゴの旋律がよみがえっていた。 そうだ、アルゼンチンへ行こう。 そして1951ねん2がつ、貨物船、星光丸に乗り込んだ26歳の高木さんは、夢にまで見たアルゼンチンへ旅立った。 26歳、高木一臣のアルゼンチンドリームが始まった。

こうしてアルゼンチンへの愛を深めながら、高木さんはある求人募集に応募し、採用となった。 それはアルゼンチン国営放送が、アルゼンチンのニュースを世界中に伝えるための7か国語アナウンサーの募集。 ブエノスアイレスで上映中のアルゼンチン映画、サムライは、幕末の日本で地位を剥奪され、開拓民としてアルゼンチンへやって来たある武士一家の物語。