NNNドキュメント「もの言わぬ語り部 震災遺構 伝承のカタチ」

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この番組のまとめ

松本社長は自ら撮った津波の映像を地元の観光協会と組んだ…無報酬でガイド役を買って出た大声で叫んだ早く逃げないと!撮影開始から3分後津波が堤防を乗り越えたその22秒後音がひときわ大きくなる津波がホテルにぶつかった松本社長はホテル6階で撮り続けたお話ししてもらった通りなんですけども…被災当時の状態で残るホテル映像と重ね合わせて見ることでツアー客は言葉を失う4階の手すりの所もあれだもんね。

従ってですね簡単に我々岩手県釜石市津波で200人以上が犠牲となったこの建物は復興が進むにつれ町の景色は変わって行くあの日一番最後に防災センターに着いた住民だ指先だけが無数に見える市内の児童生徒3000人のほとんどが津波から逃れた釜石市日ごろの防災教育が功を奏した避難行動は「釜石の奇跡」と呼ばれるその典型が釜石東中学校と鵜住居小学校だ手に手を取って2km先の高台を目指した学校とあの防災センターは目と鼻の先だった釜石のベッドタウンだった鵜住居地区奇跡の一方でなぜ悲劇は起こったのか1階に市の出張所があった防災セ

祭壇が市の職員によって撤去されて行く仲子さんが書いたあの手紙も剥がされた市は将来手紙を津波の跡が残る壁などと一緒に展示する考えだあの日の出来事消してはいけない教訓がある寺澤さん夫婦が防災センターを訪れたこうガリガリ痛い気持ちが。 震災の爪痕を今に伝える震災遺構として宮古市が保存を目指している『たろう観光ホテル』について復興庁は今日保存費用の一部を国が負担すると発表しました。