ザ!鉄腕!DASH!! DASH島開拓史2013

戻る
【スポンサーリンク】

08:43:54▶

この番組のまとめ

DASH島2013年も年の瀬を迎えこの男は新年の支度に精を出していた平安時代の料理が起源とされ…DASH島でもおせちを作りたいまずは何か…。 そうそう!それは9年前台風で荒れる京都日本海沿いでのことだった1階が船着き場2階が住居や物置で世界でも珍しい建築様式これをDASH島に造るとしたら…船がつけやすい…。

長瀬が作った…さらに…これを全て手作業で敷いて行くはいはいまぁまぁそれくらいは大丈夫です大丈夫ですか。 …と集中力が一瞬途切れた時だったあっ痛って!大丈夫です?大丈夫?それはちょっと…それでも休まず線路を敷き続ける枕木飽きた。 作業は3か月に及んだ年を越えたこの日これで集落跡から舟屋建設予定地のすぐ近くまで線路がつながり早速トロッコと荷台を使い石垣の石を港跡へいい?いいの?行って。

作業開始から4か月半これから…謎多きDASH島島内の調査も欠かせないあれ?それ何?あれ?これは確かに人が住んでいたと思われる建物の跡これまでも…建物はいくつか発見したが中には漁の道具ここは倉庫だったのかっていうかこれ家だよね。 崩れかけの建物その中にはさまざまな道具や材木が置かれていたおいおいおいおいおい!大丈夫かおい!別のカメラで見てみるとおいおいおいおいおい!大丈夫かおい!抜けたぞおい。

25年ほど前まで伊根に実際に立っていた舟屋の材木奇麗なやつ…。 支えるといえば舟屋を支える柱となる材木が港跡にそろい合計63本もともとは別の建物だった柱を組み合わせて行くすると舟屋のプロ尾谷棟梁は一番長い。 最も強い継ぎ方の1つといわれる金輪継ぎ縦横ねじれあらゆる方向からの力に強いのだがその加工は複雑同じ形の材木が2本組んだ時には隙間があるが…ふぅ~大変だね。

伊根の歴史ある材木がDASH島で新たな歴史を刻んで行くすげぇぞこれ。 しかしそのほんの数日後DASH島は荒れていたそして舟屋周りの潮の満ち引きを観察するカメラに思いも寄らぬものが映っていた夜が更けた後のこと春のDASH島は荒れに荒れた潮位観察用に設置したカメラ自体も揺れるほどこのまま風は弱まることなく夜が更けた深夜2時夜が明けて風はやんだものの…さらに柱が海水づけにその数日後ほら手前に倒れてるの…。

この春列島を襲った爆弾低気圧DASH島にもその猛威が吹き荒れた強い風と雨これでは島の基地となる舟屋づくりの作業もままならず風を避けながらの食料調達全然違う何か。 何だ?横浜・DASH海岸でも見た動きあっホンマやハゼとギンポの間って感じやね。 後で調べてみると…DASH海岸にいる江戸前のギンポとは別物だが大きいもので…いたハハハハハ。 大きいもので1m20種以上のアナゴの中で一番うまいといわれているそして年の瀬のDASH島1本のまま白焼きに気合入ってる感じでね。

まだ足場板の細い影だが日差しを遮り涼める日陰がやっとできたDASH島の舟屋づくりは2階部分へはい。 そして時にはスタッフも左右の桁をつなぐ中梁はまれば骨組みは安定する休むことなく作業に没頭しこうして2階の骨組みが組み上がり行くぜ!お願いだ!来た!いいんじゃないですか?OK?よっしゃ!せっかくだから何かやりましょうよ。 餅や小銭を投げて振る舞うDASH村の母屋の棟上げもそうしていたならばDASH島の舟屋でもお世話になった方々と一緒に福島県産のもち米いいね。

4か月がかりでコツコツ組んだ井戸の枠まずは石の間から生える雑草を取り除く福島・DASH村で散々雑草は抜いて来たがこんな命懸けの草むしりは初めてだったこれゴロゴロゴロってことがあり得るからね。 こうして入り口周辺に生えていた草はほとんどなくなり達也はさらに下へ地下3mにはコケ湿気も多くカビが生えている可能性もコケは…この水にはある工夫がDASH島の周りにうじゃうじゃいるDASH島井戸の再生その助けとなるある生き物がほらほらほら。

さらに梅雨前のこの時期こんな生き物にも驚かされた太一が言おうとしたアオダイショウなら毒はないが頭が三角形のヘビは猛毒を持つことが多いならば頭を確認せねばよっしゃ。

こうして40年以上森の中で眠っていた古井戸が…ひとまずアラフォー男3人でつかの間の息抜きを…と砂浜にやって来たものの中年3人では盛り上がりに欠け…いいね日陰つくろう。 こうして夏は過ぎ季節は秋材料は森の廃屋にあったこういうの使えるかな?状態のよいものを選んで運び出すそして太一も達也城島を中心に作業は進み…屋根の骨組み垂木が打ち終わり…DASH島に待望の日陰がそしてこの上に瓦を葺いて行くその手本になる建物がDASH島にはあったここいいよ何か。