解決!ナイナイアンサー2時間SP

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この番組のまとめ

そんな離婚に、一癖も二癖もある芸能人が、あの離婚は許せなだって性格の不一致って、今まで一緒に飯食って、好きになって、やることやって、それで、そのあとに性格のその不一致?だから子どもができるまでの過程を経て、今さら性格の不一致ってそりゃなんだいと。 性格の不一致っていうふうに、大きい題材で見せてる中で、離婚っていうのは、理由なんて1つじゃないわけですから。

変わるって、ストレスないんですか?あります、あります、ありましたけど、でも、けんかをして、やな思いを醸し出すくらいなら、自分は我慢はできる、できたんですよ。 離婚するには、いろんな事情がそれぞれ個別にあるから、離婚イコール我慢が足りないって言っちゃえるかっていうのがまず一つ、すごい疑問があって、離婚したからよけい苦労して、でもだからこそ、自分の好きなさ、この何?も結婚しなければいいんですよ。

だから、やっぱ自分の親として、私は離婚してても、結婚してても見れるから、やっぱりそこでずっと、仲悪いまま、お母さんも我慢したり、お父さんも我慢したり、そういう家庭に行くと、実際私の周りの友達でもそういう家庭の子とかもいて、やっぱり中学校時代とか、家帰るの嫌だなとか、またけんか始まったよとか、それですごい悩んでる子とかたくさんいたんですよ。

このあとIMALUが、父、明石家さんま、そしてその後現れた母の恋人と暮らした日々をまさかまさかの実名告白。 笑える程度の本当のテレビ用のエンターテインメント的な。 それを子どもが見て、IMALUちゃんとかは、小さいときどう思ってたの?嫌でしたよ。 もちろんそのネタにもよるんですけど、例えば私、一番嫌だったのは、IMALUが反抗期やねんと、最近、うちの娘が。 私、イコール私が今、IMALUちゃん、なんて呼んでたの?家で。

そうそうそう、Nさんは、私はウルトラマンって呼んでて、なんかたぶん一番最初にお会いする前に電話をしたんですよね。 だから、話したときにウルトラマンだ!っていうふうに言ってくれたんですよ、そのNさんが。 自分で自分を?子どもなんで、わー、ウルトラマンだみたいになって、ことないんですよ。

高岡さんの話を聞いてると、やっぱり引退して、ちょっとは楽しかったとかって言ってて、やっぱりそれってサッカー選手が好きで結婚してるんじゃないの?それでやめたあとに旦那が俺はこういうことやりたいって言ったら、ああ、好きなようにやんなって言ってあげられる女房が私、絶対、一番だと思う。 これから結婚する人に言いたいんだけど、やっぱりちょっと手伝ってくれる?手伝ってくれて、ありがとうねって、やっぱりその癖じゃないけど、そうやってやっぱり結婚生活ってやってかないと、えてたんだと、私は思いますよ。

サッカー選手で日本代表になられてる方が稼いでないとは思わないでしょ?本当に通帳見たこともない。 このあと、矢部が結婚を決めでも石黒さんの旦那さんはね、ずっと夢を追っかけて、ミュージシャンやってますよね。 もうポカーンって感じで、本当に家にいる、寝て起きる時期があって、そのときに本当に生活費が出なかったから、私だから、いつか真矢君がもしかしたらけがするかもしれないとかいろいろ考えてたから、ないしょで貯金をちょっととっといたんですよ。 これ全国の男たちに本当、言いたいんだけど、よく熟年離婚とかってあるでしょ。

やっぱりかわいがってくれてると思うからね、ずっと結婚してから一生懸命やってくれたと思う気持ちがあるから、捨てずにいられるんだと思う。 でもそのときに、この人が稼げない、全然稼げないで私の負担になっても私の人生にいてほしいと思うかどうか、いたら楽しいかなと思うから結婚して。 ところが結婚して、子どもが出来て、やっぱりある程度の期間、仕事、自分の仕事よりも家庭を中心にしたときがあって、このまんまいって、この稼ぎでいって、子ども2人を育てられるかっていう不安がだんだん出てきちゃったんですよ。

だからすごい大好きで、私も大好きでしたし、下2人ももちろん大好きで、そうですね、母がもう本当、私たち家族をちっちゃいころから照らしてくれてた感じはありましたね。 それは町が大学受験を目前に控えた、高校3年生の1月の出来事。 精密検査の結果、くも膜下出血です。 お母さん!お母さん、大丈夫?お母さん、お母さん!一命は取り留めたものの、くも膜下出血だけでなく、脳梗塞も併発し、右半身がまひ。

やっぱり本当、ちょっとしたこのテーブル、もうこの段差があっても、もう動かない足は、爪先が引っ掛かっちゃうんで、扉もこう開けて、閉じて、トイレも開けなきゃいけないっていう、左手だけでやらなきゃいけないから、だから、家に帰ってきてからが、本当のリハビリだったですね。 町は母の介護と生活費のためのアルバイトに明け暮れる日々。 休日は弟や妹の学校行事にも、そんな中でもアナウンサーになるための勉強だけは怠らなかった。 晴れて日本テレビのアナウンサーになった。

みとったときは、どんな気持ちでした?ねえ…、町の介護生活は、こうして幕を閉じたのだった。 そう、町は10年にわたる母の介護生活の裏で、仕事から帰っては、家族から背を向けるようにして酒を飲む父。 とはいえ、あまりにもやっぱり、どこかで自分で気持ちを前向きにして、自分で立ち上がらないと、私たちにできることは限られているので、と思って、1回は本当に堪忍袋の緒が本当に切れて。 この重い現実は、そう、再び町に、過酷な介護生活が襲ってきたことを意味していた。

ね、頑張ること好きで、このまま町さんがずっといくと、頑張れるし、頑張ったら人の役に立つし、そうしたらね、何をしてしまうかっていうと、自分が、自分が、自分がっていって、100のやらなければいけないことがあったら100、自分でやろうとするんですね。 つまり、頑張れる人、しっかりしてる人は、周りの人たちを無能力者にしてしまう。

彼女の名は、女優、萩生田千津子さん。 あの日、父が友人にだけ語った本当の気持ちを、町亞聖は初めて知ることに。 思い出しましたけど、1回だけ、もう父というより人間も、本当珍しいなっていう、子どもにありがでも私も10年在宅介護して、町さんがでも、それ高校生のときから、しかもご両親なさったっていうのは、私ね、本当に頭が下がります。 お父さんがお礼言うたことも、自分の記憶から消してはったんでしょうね。

結婚って考えたときには、もうその瞬間から、不純になるから、やっぱりこの人がいくら将来稼ぐだとか、そういうのしっかり考えとかないと、離婚したあとに、あっ、この人、こういう考えになっちゃったから、じゃあスポーツやめたときにね、この人、こうなるのかああなるのか、なったとしたら、それは、最初から考えておかないといけないと思う。

写真とかで、で、私たち家族とかは、高所恐怖症だから観覧車も乗らないっていうのに、その子たちと行く謝恩会じゃないけどね、お疲れさま会は、富士急ハイランドであのジェットコースター乗ってるのね。