バンキシャでは、日曜日のこの時間帯も、こうこうとご覧のように明かりがともされ、工事車両が行き交い、町づくりが急ピッチで進められているんです。 きょうのバンキシャは、ここ、女川からお伝えしてまいります。 それが今、私がいるここ、宮城県女川町です。 女川町では復興は進んでいるかという問いに、63人中47人、実におよそ75%の方が進んでいると答えております。 震災で住宅の9割が被害を受けるなど、被災地の中でも、とりわけ大きな被害があった、この女川という町で、なぜ今、住民は復興が進んでいると感じているのか。
被災した多くの自治体が、国との調整や許可に時間を取られる中、女川町はいち早く地元主導での復興を決めた。 なぜ、女川町の復興は早いのか。 宮城県女川町。 実は女川町、海と共生することを選び、東日本大震災クラスの津波を想定した巨大な防潮堤は造らないことに決めた。 東日本大震災と同じクラスの津波が来た場合、商業エリアまでの浸水を想定している。 月曜日、女川町の仮設商店街にある店。 実は女川町では、こうした若い世代が町づくりの会社を作って復興を進めている。
きょうは宮城県の女川町から中継でお伝えしております。 この女川町ではきょう、津波で犠牲となった七十七銀行女川支店の従業員の遺族らが、慰霊碑を設置しました。 そしてもうひと方、女川町の町づくりをけん引してきた、須田善明町長にもお越しいただきました。 りますか?進学のために、女川町を離れて2年になるんですけれども、女川町を離れたからこそ、ふだんは見ることができない面を見れるようになったのかなと感じています。
女川駅が再建されたり、水産加工団地が出来てきていたり、最近、景色が変わってきていることをよく感じるようになった。 でも、女川駅が石巻線の発着駅ということもありまして、この駅を通して、友達と出会うことができていろんなつながりを作ることができました。 人口減少率、日本一の女川町。 人口減少と少子高齢は、それは受け入れることなのか、人口減少は逆に、歯止めをかけたいのか。 日本の地方都市共通の問題である、人口の減少や、少子高齢化に向き合いながら、復興をどう進めていくのか。
伐採された女川町の間伐材でギターを製造・販売。 女川町の町づくり、それは、住民一人一人が作り上げているものだった。 さあ、こちら、ウミネコの翼をモチーフとした、女川駅の駅舎を前に、中継をお伝えしております。 阿部さんは実際、今のふるさとの雰囲気をどう感じられますか?昔の女川町って、女川が大好きです。 これからの新しい女川の町並みも以前の女川の町並みも、どちらも大好きです。
ですが、あと、もう1つは、仮設住宅で、年代高い方、お1人で暮らしている方も多いんで、やっぱり心の寂しさをよけい覚えるという部分もあると思うんですが、若い人たちが、もうこれから、復興が、再建が終わってね、そして自分たちでやっていくという、そういう考え方が現れている数字じゃないかなと思いますね。 まさしく、この若い世代が町づくりを担っているわけでね、高齢者と若い世代の間に、意識の差、いわゆる世代間格差と申しましょうか、あるのかもしれませんけれども、町長はこのあたりのことをどうお考えになってますか。
汚染廃棄物は、土やコンクリートで覆うことで、放射線が遮られます。 この汚染廃棄物を、国や県などの協議で、5日後の今月13日に、ある場所へ搬入することが決まりました。 ただ、考えなくてはならないのは、汚染廃棄物を受け入れる地元住民のことです。