戦後70年特別番組 櫻井翔&池上彰 教科書で学べない戦争

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この番組のまとめ

今夜は教科書を入り口にあの戦争を櫻井翔と池上彰が徹底取材教科書で学べない戦争の真実まで明らかにします戦後70年特別番組『櫻井翔&池上彰…』今年2015年は戦後70年の節目の年です。 戦争中日本軍では…特攻隊とは太平洋戦争の末期に日本軍が編成した死を前提とする体当たりの攻撃隊のことです。 今回特攻隊について教科書にどれくらい書かれているか確かめてみたのですが小学校6年生そして中学生今使われている歴史を扱う教科書こちら11冊あるんですけれどもその中で特攻隊について触れてるのはわずか4冊なんですね。

がっかり?隊員達ががっかりした特攻兵器とはどんなものなのか?私達は専門の会社に依頼し設計図に忠実に震洋の船体を再現することにしたまず取り掛かったのは設計図をコンピューターに取り込む作業そのデータを基に骨組みの組み立てが始まる板は一番厚い部分でもわずか8mm震洋は特攻兵器でありながら船底も側面も全て薄いベニヤ板で覆われていたのだそして設計図に基づき70年ぶりに再現された特攻兵器震洋がこれだおっ…。

歌詞を忘れても軍歌のメロディーは体に染み付いていたこれは戦争末期1944年のレコードのヒットチャートベスト10のうちなんと軍歌は8曲もランクインしていたそこまで……を依頼すると…ドレミファソラシの音階のうち4番目の「ファ」と7番目の「シ」2つの音を使わない曲のことこれが「ヨナ抜き」だ軍歌およそ100曲で音階の使用回数の統計を取ったところ「ファ」と「シ」が極端に少ないことが分かったつまり「ヨナ抜き」の軍歌が多いというのだ名曲にも使われる…音程が急上昇するこの部分軍歌は他のジャンルの曲と比べて音程が急上昇する

マレー半島を駆け抜ける自転車の集団れっきとした日本軍の兵士達通称…マレー半島を押さえ先を急ぐために投入されたのが徒歩より速い自転車の部隊だった実は日本軍が目標としていたのはマレー半島のさらに南インドネシアの都市パレンバンそれを探るため現地へ今は180万人ほどが暮らすインドネシア有数の都市だ日本軍が目指した施設は今もこの街に残っている私達は特別な許可を得てその施設の中へさらに進むと日本軍が手に入れたかったものは何だったのか?特別な許可を得てその施設の中へゲートを抜けると…攻撃に参加したのはパラシュートを使っ

当時食事は「おいしいかどうか」ではなく「生きて行くための手段」という側面が強くなっていたのですアメリカとの戦争が始まって1年もたたないうちに日本は敗北への道を進み始めます。

ラバウルで戦った…その時の状況をこう例えます「其の有様は互いに他人事の様に」「死の恐ろしさなど微塵も無いのだろう」周りで次々と命を落として行くパイロット状況が悪化する大きなきっかけとなったのは…1942年に起きたガダルカナル島をめぐる戦い日本が飛行場を建設したこの島にアメリカ軍が上陸そのためこれまでポートモレスビーに攻撃を仕掛けていたラバウル航空隊がガダルカナル島への攻撃も担うことになったのですしかしそこはラバウルからおよそ1000kmも離れた場所しかしパイロットの……に達し戦死して行きます初めての出撃で

太平洋戦争に関する資料館にその写真は保管されていました義烈とは正義を守る心が非常に強いことを表す言葉それを名にした特攻部隊が出撃する時の写真です死を目前にしながら隊員達の表情は見る者が戸惑うほど晴れやかですそれは残された映像でも…を命じられました最初の攻撃目標はサイパン強行着陸し隊員が爆薬を使って命ある限りB29を破壊するという作戦でした陸軍がこの特攻作戦を奥山隊長に打診した時隊長はすぐにこう答えたといいます隊長といえどもまだ20歳代半ばの青年どうぞ。

ツネさんが渡したはちまきよく見ると日の丸の位置がずれています妻の名前が正面に来るように結んでいたのでしょうか長谷川曹長はレンズを見詰め穏やかにほほ笑んでいました午後6時半すぎ奥山隊長が発進を命じました義烈空挺隊を乗せた爆撃機は全部で12機夕日で赤く染まる景色の中沖縄に向け飛び立ちましたしかしアメリカ側の記録によると強行着陸できたのはこの1機だけでした周りには破壊されたアメリカ軍の航空機が記録によると少なくとも8人の隊員が飛行機などを爆破激しい戦闘の末戦死しました他の機体は強行着陸する前に撃ち落とされたとみ