24時間テレビ38 愛は地球を救う PART7「つなぐ~時を超えて笑顔を〜」

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この番組のまとめ

東京の南1280キロ、太平洋の小さな島で、日本とアメリカは激戦を繰り広げた。 硫黄島で戦死した日本兵はおよそ2万人。 戦争末期、アメリカは日本本土への大規模な空襲を計画。 硫黄島は、アメリカの拠点があったサイパンと本土のちょうど中間にある。 アメリカ軍が上陸する前に、地下壕と呼ばれるトンネルを掘り、全兵士が穴に潜伏し、迎え撃つ、通称、モグラ作戦。 ついにアメリカ軍が上陸作戦を開始。 戦艦からの砲撃の後、3万人のアメリカ兵が一斉に上陸。 身動きの取れない日本兵に対し、アメリカ軍は。

そして僕は、ことし、硫黄島で戦った日本軍司令官の孫と、当時のアメリカ兵が交わした握手。 平川さんの父、良雄さんも、硫黄島の戦いで、帰らぬ人となりました。 愛する妻と5人の幼い子どもたちを残し、硫黄島へ行かなければならなかった良雄さん。 私たちは、硫黄島で起きた激戦の記憶を、後世につないでいかなければいけない。

DAIGOさんはこう言います。 ランナーを応援する際の路上駐車、さて、現在武道館ではHey!Say!JUMPの皆さんが、募金をお預かりしています。 歌丸師匠も登場してまいります。 歌丸師匠。 歌丸師匠も駆けつけてくださいました。 なんとか追い風に変えてほしいDAIGOさん。 頑張っているDAIGOさんに負けないように、師匠方も頑張ってくださいね。 あのー、ちょっと私、ずっと子どものころから笑点を見てまして、きょうはぜひ、歌丸師匠にお会いしたくて、ちょっと飛んできてしまったんですけどね。

いいですか?何言いたいの?師匠、昔からなんですけれども、種のほうをすぐ隠すのやめません?だって今の、もし、松下さんがばらばらなの取っちゃったら、どうしたんですか?今。 あのね、ピアニストっていうのはね、そういうことはしないから。 だから自信満々よ。 何、それは?コップに麦茶。 麦茶?麦茶です、これ入ってます。 これ持っていただいていいですか?ここで持てばいいですか?この麦茶を消そうと思います。 僕もちょっと支えておきますね、いいですか?この状態で松下さんが消えろって大きい声で叫びます。

ここに4枚のハンカチがありますから、じゃあ黄色いハンカチを1枚頂いていいですか、じゃあこのへんに。 次、赤いハンカチを。 いや、赤いハンカチがいいんです。 で、これ、どうなるわけ?いや、これをやっぱり、師匠、最後、びしっとわれわれ3人でね、決めたいんで。 そしたらどうすればいい?師匠、師匠、手品下手ですね。 政治に不信感、国民の叫び。 それでは私は、先ほど出た松下奈緒さんと、温泉旅館、しっぽりお忍び。 太陽かんかん、毎日猛暑日。 阿羅漢一世風靡。 鞍馬天狗、一世を風びしましたもんね。

24時間ずっと見ていた日本テレビ。 初めて使ったウォッシュレット。 24時間テレビが誕生しました。 上位打線と下位打線がつながりました。 僕も思いついたんで、いいですか?Hey!Say!JUMPメンバーと笑点メンバーがつながりました。 どうなりました?Hey!Say!JUMPメンバーが、笑点メンバーを介護しております。 東海道新幹線と北陸新幹線がつながりました。 でね、松下さんが隣に来てね、あるいは後ろへ行ってね、いい笑顔ですねって言いますので、返事を返していただきたいんです。

はい、東京オリンピックに向けて、笑顔は最高のおもてなしですよね。 東京オリンピックで思い出した。 東京オリンピックが決まったときには、みんなこの笑顔だったんですがね。 といったところで、笑点のコーナーはお時間のようですが、松下さん、それから山田さん、いろいろとありがとうございまし笑点チャリティー大喜利でした。 林家こん平さんは2004年から多発性硬化症という難病と闘っています。

24時間テレビの武道館に出演させていただいて、もう皆さんで1、2、3、チャラーン!という唱和をもう全身で浴びて、すごく父は意欲が増してきたというか、本当に自分の出るステージがあるんだなっていうふうな、その気持ちの変化が、一番大きかったと思うんですけれども。 ほとんど自分のことは、自分でできるようになってきましたので、要介護度っていうのが、4から3になったというのが、一番大きな成果だというふうに思っています。

驚異的な回復力を見せるこん平師匠。 こん平師匠。 さあ、きょうはですね、こん平師匠の夢であります、5年後、芸歴60周年の節目に高座復帰。 師匠、いかがですか?頑張ります!頑張りまーす!うわー、すごい!こん平師匠、ステージにお願いします。 さあ、いよいよこのあと、11年ぶりにこん平師匠が、あの席に戻ります。 驚異的な回復力を誇るこん平師匠がいよいよ笑点に帰ってきます。 2004年から多発性硬化症という難病と闘い続けてきたこん平師匠。 いいですか?1、2、3、チャラーン!5年後、60周年の高座復帰への第一歩。

Hey!Say!JUMPの中村君だもんね。 何して遊ぶのが好き?メロディオン!メロディオン?へぇ、見せてよ。 何を弾いてくれますか?恋人よ!恋人よ?だれの曲?五輪真弓さんです。 ちょっと待って!ちょっと!大丈夫?お父さんのに比べると、そり残しがすごいのよ。 僕の運転テクニックどうでした?大丈夫ですよ。 大丈夫?もしジャニーズで、困ったら僕、この田んぼ継ぎます。 所さん?正解!うぇ!川棚町当たった?そうなんです!ダーツの旅が、24時間テレビっていう番組で。

さあ、ではここでHey!Say!JUMPの皆さんから、熱い走りを続けるDAIGOさんに、歌のエールです。 DAIGOさん、頑張って!待ってます!ファイト!Hey!Say!JUMPの皆さん、ありがとうございました。 DAIGOさん、頑張って!こちらには、吉田沙保里さん、石田純一さん、吉田羊さんが駆けつけてくださいました。 最強の女子、吉田さん、僕に技かけるとしたら?さて、武道館は、吉田羊さん、愛情を持って、接すれば、動物にはきちんと伝わるのだということ。

高倉健と志村喬は、まさに映画の中で、親子を演じている。 志村喬は、私生活でも多くを語らない、寡黙の人。 なんかもう、だめかもしれないなと思ったときに、命を懸けて仕事を続けた、志村喬。 その背中を見続けた高倉健。 そして、高倉健がつないだ心は、北海道南富良野。 高倉は、マイナス20度の中、立ち続け、撮影をした。 それは、高倉健からの手紙。

DAIGOさんが、武道館の皆さんと話すのは、次は武道館で直接ということになるはずです。 僕たちはDAIGOさんのことを待ってますので、頑張ってください!もう、最後の力を振り絞って、もう、どうにかゴールにちゃんとたどりつきたいなと、たすきをつなげたいなと思ってるんで、武道館で待っててください。

昨年、長野県の中学校で行われた、弁論大会。 皆さんは、命の尊さについて、考えたことはありますか?倫太郎君には、1つしかありません。 2歳のときは、泣き過ぎて呼吸が止まって、心臓も止まって、本当にもう、人工呼吸と心臓マッサージっていうふうに分かれて、どうなるのかなっていうのはありましたけど。 長野県箕輪町。 倫太郎君は、両親と弟、恵次郎くん、そして祖父母の6人で暮らしています。 それは、人生の多くを病院で過ごした、そして、倫太郎君のもう一つの喜びが。 そう語る倫太郎君には、実は、好きな人がいます。

憧れの人に会って、倫太郎君は。 それは、倫太郎君の夢でした。 いつも楽しそうにしている倫太郎君。 小学2年生のころ、両親に書いた手紙には、そんな倫太郎君の気持ちが、表れていました。 師匠、水卜さんと会えていかがでしたか?えっとですね、いつもテレビで明るくて、食べ物をいつもおいしそうに食べてるのが、とてもすばらしいので、出会ったときは、本当にうれしかったです。 倫太郎君、あと、弟さんは、いい弟さんだね。

皆さんでDAIGOさんを迎えたいと思います。 DAIGOさん、どうなってますか?蛯原さん。 DAIGOさんは、夢は日本武道館でコンサートを開くことでしたと、そう言っていました。 さあ、私たち、DAIGOさんと同じボンビーガールという番組で共演させていただいているんですが、ここまでDAIGOさんの走り、ご覧になっていかがですか?もうね、代わってあげたくても代わってあげられないし、代わりたくないですね。 植松さんはいかがですか?DAIGO君だったら、絶対できるって信じて応援してるんですけども。

頑張れ!さあ、そしてDAIGOさんの背中を押す、応援のファックスも続々届いています。 ゴールのときは、DAIGOさんの笑顔が見たいです。 DAIGOさん、雨にも負けず、風にも負けず、日本中の思いをつないでください。 DAIGO、ファイトなっし~!新潟県見附市のちゃんこさんより頂きました。 DAIGOさんの熱い走りが続いています。 さあ、そしてこのあとですね、V6とHey!Say!JUMPの皆さん、15人全員で、あるチャレンジに挑みます。

今回、ソロパートを担当する萩原晏志君は、晏志君は、この笛は、体育教師の父からもらった最後のプレゼント。 カウント1のときに右足、1と2の間に手を合わせて、今回、バドミントンのラケットで、ずっとじゃないけど、小2からいじめがあって。 鉛筆の芯を授業中、折られたり、水をかけられたり、手をこうやって握ってくれて、ずっと支えてくれたから、お母さんと一緒にラケットとか靴も一緒に選んでくれて、頑張って続けようと思った。 彼女は、バドミントンのラケットで、感謝の気持ちを奏でる。

両の腕を懸命に振っているDAIGOさんです。 ラストスパートに入っているDAIGOさんです。 皆さん、DAIGOさんと非常に親交があるということで。 さあ、痛みを押して、武道館を目指しているDAIGOさんです。 全国47都道府県、450人の手から手へ、さまざまな想いを乗せて、DAIGOへとつながれた、2本のたすき。 その人は、全くの無名だったDAIGOを、きょうは僕の大切な人の話をします。

久保田苛湖さん、そして苛湖さんのご遺族はもちろん、このたすきをつないでくれた450人の想いを背に、今、DAIGOさんが日本中の人たちの想いを胸に、さあ、こちら武道館に、加山雄三さん、そうですね。

日本列島をモチーフにしたフラワーアートが完成いたしました。 DAIGOさん、頑張って。 僕は夢に向かって一生懸命走った、一人の少年と、すばらしいアスリートの皆様と出会いました。 でも僕たち一人一人が東北の未来を考えることで、日本の未来へつながってくるんじゃないかなと思います。 僕は、一人の少年を演じることで、家族や友達とつながっているという、当たり前の日常こそが、いかに幸せなことなのかと、改めて実感しました。 DAIGO頑張れ!待ってるぞ。

そして、その450人だけではなくて、全員の応援してくださる皆さんの想いをつなぎたいと、そう言っていました、DAIGOさん。 DAIGOさんが手袋をはめます。 さあ、みんなでDAIGOさんに気持ちを送りましょう。 さあ、今、DAIGOさんの両目から涙が1粒、2粒流れ落ちます。 休憩場所でも、DAIGOさんの肩が傾いている。 さあ、涙をこらえる、涙をこらえるDAIGOさん37歳、さあ、最後の力を振り絞りまして、一歩一歩、足を日本武道館へ運ばせようとしています。

さあ、もう、DAIGOさんの右前方に、日本武道館が見えているはずです。 DAIGOさんの目には、日本武道館が、涙でかすんでいるかもしれませんが、はっきりと、はっきりと、日本武道館が、DAIGOさんの視界の中に入ってきました。 DAIGOさんが武道館に戻ってきました。 DAIGO、お帰りなさい!ロックミュージシャンとして夢だった武道館でのコンサート。 その武道館はきょうは、DAIGOさんのゴール地点となって、今、DAIGOさんを迎えようとしている。