♪~大陸に暮らしていた女性達にはどうしようもないことが待っていました身にはボロ布をまとい足に履物はなく全国で5番目に多い41万人が引き揚げました当時国が残した引き揚げの記録があります『仙崎引揚援護局史』検疫医療物資などについて書かれたその中に私達は聞き慣れない言葉を見つけました「特殊婦人」です特殊婦人とは…「北朝鮮や満州からの引き揚げ婦女子には現地で暴行を受けた結果体に異常を来している者がいる」北朝鮮と満州から上陸する特殊婦人の数を月ごとに記録していました暴行を受けた女性達の相談に乗り把握しようとしたのは
ある集団自決の記録を見つけました満州からの引き揚げ者の証言です「金品のみならず女性を求めるソ連軍の圧力は日に日に強まりやむなく開拓団の老若男女全員での自決を強行」ぐずぐずしている老婆は団長から首を切られ…」辺り一面は修羅場と化したとその場を脱出した女性が証言しています佐世保でも特殊婦人の相談は行われました15歳から50歳までの女性達全員に話を聞いたという記録が残っています相談員を務めたのは佐世保友の会の婦人達でした引き揚げて来る女性達に直接向き合った当時の会員達その1人西村二三子さんの娘が母親から引き継い
毎年水子供養祭が行われます法的には許されていない堕胎中絶が極秘に行われていたのです自発的につくられました堕胎は違法行為でしたが国も黙認し協力していました手術に当たったのは2人の医師と10人の看護婦達です報告書によると望まぬ子を宿した妊娠を不法妊娠とし堕胎は妊娠後期の8か月や9か月になっても行われていました手術に立ち会った看護婦に話を聞くことができました人助けが信条で72歳まで看護婦を続けました二日市保養所の堕胎の仕事は本当は断りたかったという青坂さんこれまで多くを語りませんでしたが90歳を過ぎた今これも私
「麻酔なしの手術に皆声も出さず耐えていた」「赤ん坊の泣き声を聞くと母性本能が目覚めるので声を聞かせないよう幼い命を始末したがバケツの中で息を吹き返し泣き声を上げることもあった」堕胎の様子をこう証言したのはこの隠された事実を語り継ぐ活動を続けて来ましたが去年春に亡くなりましたまた1人語れる人がいなくなりましたしかしソ連兵に捕らえられ引き揚げは途中で断念ソ連軍の監視下にある収容所での生活が始まりましたその収容所でも…「マダムダワイ」って言って入って来るんですよ。